子どもたちにとっての生きるためのヒントが提示されている
「夏を拾いに」(森浩美)双葉文庫

この夏の読書として、
中学生に薦めたい一冊です。
と、昨日書きましたが、
本書は子ども向けの
児童文学ではありません。
大人向けのノスタルジック小説です。
全500ページは3部構成。
「平成19年・夏」、「昭和46年・夏」、
そして最後に再び
「平成19年・夏」となります。
「平成19年・夏」は冒頭が約30ページ、
終末が約20ページですが、
この部分が重要な意味を
持っていると思うのです。
「平成19年」の「私」は、
息子とうまくいっていません。
そして、「昭和46年」の「僕」も
父親と素直に
向き合うことができません。
それぞれの語り手「私」「僕」は
同じ主人公の小木文弘。
つまり、子として親とうまくいかず、
親として子とうまくつきあえない。
いつの時代でも、親子、
特に父子というのは
そういうものなのでしょう。
「僕」にとっての父親は
頑固で無口ですぐ手が出る。
父親としての「私」は
子どもを気遣い、自ら子どもに話しかけ、
煙たがられる。
この父親像の描き方に、
作者は時代を反映させているのです。
「私」は駅前で偶然、
同級生から小突かれている
息子を目撃します。
息子はそれを極力
気にしないように努めていることに
「私」は気付きます。
「僕」は友達の雄ちゃんが
上級生の不良グループから
目をつけられていたため、
一緒に殴られたりもします。
しかし、怖がりながらも反撃したり、
勝負したり、同情までして、
一つの「つきあい方」をしているのです。
ここにも時代の空気が
見事に取り込まれています。
「私」は妻に押し切られる形で、
疑問に感じながらも
小学校5年生の息子を進学塾に入れ、
勉強させています。
「僕」の父親は、
自分の息子にだけは楽をさせたい、
だからできれば大学に入れてあげたい、
そう思いながらも決して無理に
勉強させようとはしていません。
また、親から強制的に
習い事をさせられていた友人・高井が、
自力で親の束縛から逃れ、
「僕」と一緒に不発弾探しに
夢中になる場面も描かれています。
ここにも時代の変遷を
感じてしまいます。
かつての子どもたちはこうだった、
と偉そうに子どもたちに
語ることはできないかもしれません。
しかし、大人向けの
ノスタルジック小説である本書の
至るところに、
閉塞感を感じている
現代の子どもたちにとっての、
生きるためのヒントが
提示されていると思うのです。
本書を読んで、
子どもたちがどんなことを
見つけ出すのか、楽しみです。
(2019.7.23)
