「ティファニーで朝食を」(カポーティ)

決してヘプバーンとは重なりません

「ティファニーで朝食を」
(カポーティ/村上春樹訳)新潮文庫

真夜中に、駆け出しの物書きである
「僕」の部屋の
呼び鈴を鳴らしたホリー。
彼女はまだ20歳にもならない
新人女優だった。
金持ちの男たちの間を
上手にすり抜け、時として
騒動を引き起こしていく彼女に、
「僕」は翻弄されていく…。

ヘプバーン主演の同名映画の原作として
おなじみの本作品、
知られているように
両者で物語はまったく異なります。
最大の相違点はもちろん主人公
ホリー・ゴライトリーの
キャラクターです。
ヘプバーンをイメージして読み進めると
かなり早い段階で
その乖離に戸惑うはずです。

若さと美貌ゆえ、彼女のまわりには
男どもが集まります。
14歳の時に結婚した夫
ドク・ゴライトリーがいる。
俳優としての彼女のマネジメントをする
O.J.バーマンがいる。
結婚を約束した男
ホセ・イバラ=イェーガーがいる。
彼女は決して
高級娼婦などではありませんが、
性的に奔放であるイメージは濃厚です。
決してヘプバーンとは重なりません。

彼女は社会規範などにはとらわれない
無軌道なところがあります。
怪しいことを認識しつつ
麻薬を扱うギャングとの連絡係を
引き受け(彼女は知らなかったのだが)、
その容疑で逮捕される。
その後に保釈されても
国外逃亡を企てる。
世の中のルールではなく
彼女自身の内なる物差しで
行動が決定するのです。
決してヘプバーンとは重なりません。

その行動とは裏腹の、
ガラスのように繊細な彼女の精神は、
ひとたびヒビが入ると
粉々に砕けるのでしょう。
兄フレッドの戦死の報を受けると、
彼女は部屋の中のものすべてを
破壊します。
破滅的で病的な性向が垣間見られます。
決してヘプバーンとは重なりません。

本作品の読みどころは、
「僕」の前を一瞬で駆け抜けていった
このホリー・ゴライトリーの
人物像そのものにあるのです。
弾けるように瑞々しい若さと美しさ、
何にも縛られない自由奔放な生き方、
それ故に安らぐ場所のない孤独な魂、
悲しいまでに魅力的な女性として
読み手の脳裏にその像を結びます。

舞台は1940年代の
大戦下のニューヨーク。
海の向こうの戦争に
駆り出された若者の命が散り、
既成の価値観が
壊され続けた時代の空気が、
あたかもそこに
凝縮されたかのようです。
ヘプバーンとは重ならない、
オリジナルのホリー・ゴライトリーの
実像を、じっくりと堪能してください。

(2019.7.26)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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