本好きの人のための傑作ファンタジー・ノベル
「本にだって雄と雌があります」
(小田雅久仁)新潮文庫
「私」は深井家の一族の歴史を
手記として息子・恵太郎に伝える。
小学校4年生の「私」は、
祖父・與次郎の家に泊まったとき、
「書物の位置を変えるべからず」
という家訓を破ったため、
「幻書」を誕生させてしまう。
その「幻書」とは…。
購入してから1年半ほど
積読状態でしたが、読んでびっくり、
抱腹絶倒の面白さです。
本作品の面白さを
どう表現すればいいのか迷うほどです。
まずは「原書」について
説明する必要があるでしょう。
「幻書」とは、
「雄の本と雌の本の間に
生まれた子ども」であり、
「ページを広げて鳥のように
空を飛ぶ」ことができる。
放してやると空高く飛び去り、
「生者は行けぬ英知の殿堂・
ラディナヘラ幻想図書館へ収納される」。
また、多くの幻書が集まると
「書物と英知の守り神・
空飛ぶ象アヘラへと変身し、
本を愛した人間を
ラディナヘラ幻想図書館へと誘う」
というものです。
この設定だけで十分面白すぎます。
まず、本が子を産むということ。
本好きであれば「なるほど」と
唸らずにはいられません。
私も本好きについては
人後に落ちないつもりですが、
本は「増殖」していくのです。
それを、「本には雄と雌があり、
相性のよい雄雌同士を
隣り合わせておくと夜中に交接し、
子本ができる」とは、
何という素敵なアイディアでしょう。
そして、本がページを広げて
鳥のように空を飛ぶということ。
本には「意志」がある。
私もそう感じることがあります。
正確には、
それを書き表した著者の「意志」が、
読み手の心の中に
伝わってくるのでしょうが、
あたかも本自体が
意志を持っているかのように
感じることが多々あります。
意志を持った本たちが、
己のページを翼にして羽ばたく。
楽しいイメージが浮かんできます
(本が羽ばたかないで
空中を飛んでいたら、
ポルダーガイストみたいで
かえって気持ち悪いのですが)。
さらに、
「幻書」が集まって空飛ぶ象になり、
本好きの死者を迎えに来ること。
私などは「地震が来たとき、
本棚の本に埋まって死ぬなら
それはそれで本望」と思っています。
死んだときに本が集まって
自分の魂をむかえに来るとしたら、
死ぬのも悪くないかなと
感じてしまいます
(まだまだ死にたくありませんが)。
おそらく作者・小田雅久仁は
相当な本好きなのだと思います。
そうでなければこんな設定は
生み出せないでしょう。
本書は本好きの人のための
傑作ファンタジー・ノベルです。
本好きのあなたにぜひお薦めします。
(2019.8.9)