「本にだって雄と雌があります」(小田雅久仁)③

全編ふざけまくった大長編漫談

「本にだって雄と雌があります」
(小田雅久仁)新潮文庫

一高に入学した與次郎は、
後の鶴山釈苦利である
亀山金吾と同室になる。
金吾は美術学校生の
ミキに接近するが、
彼女にやり込められた途端、
しゃっくりが出て止まらなくなる。
與次郎はそれを
「100年しゃっくり」と笑う…。

本作品について
前々回はファンタジー・ノベルと、
前回はクロニクルと記しました。
でも、表面だけ見れば(読めば)、
大長編漫談としか
いえないのではないかと思うのです。
與次郎のボルネオ日記の部分以外の
全編が漫談の嵐です。

「幻書」の説明からして
ふざけまくっています。
「雄本「鯨神」宇能鴻一郎著は
 絹糸きりきりと浮きたたせて
 大蛇の巣のごとく
 怒張する栞ひもを、
 情欲深き雌本「花芯」瀬戸内晴美著の
 淫液とろとろと潤った
 百八ページと百九ページのあいだに
 ぐいぐいと差しいれれば、
 いつの間にやらするすると
 帯もほどけてカバーもはだけ、
 ついには赤肌色に火照る表紙も
 すっかりあらわに…」

ときたかと思うと
「などと子供らしからぬ奇想に
 耽りはしなかった」

とかわすのです。

ミキと釈苦利の出会いも珍妙です。
「そらァ、あたしの首ですから、
 頭だろうと南瓜だろうと
 ポロピレだろうと何がのってても、
 かまわんでしょう」
「ええ、もちろんです。
 でも、ポロピレってなんです?」
「ほら、あるでしょう。
 飛行機の頭の先で回ってる…」
「プロペラのことですか?」
「プロペラ?そうとも言うんですか」
「いや、そうとしか言わないです」
「あなた、世界じゅうの飛行機を
 見たんですか?世界のどこにも
 ポロピレをつけた飛行機がないと

 どうして言いきれるんですか?」
こんな調子です。これによって
釈苦利は100年しゃっくりに
陥ってしまうのです。

「私」の手記自体がそうなのですが、
與次郎もミキも、そして宿敵釈苦利も
みんな台詞のどこかに
おふざけやジョーク、
駄洒落や言葉遊びが入ります。
しかもほとんどが関西弁で語られるため
なお一層漫談調になるのです。
この漫談調の衣装こそ、
460頁を一瞬たりとも
飽きさせることなく
読み手を作品世界に引きずり込む
原動力となっているのです。

漫談調の語り口、
壮大なクロニクル、
心温まるファンタジー。
この3つの要素の相乗的な作用こそ、
本作品を超一級の
エンターテインメントたらしめる
要因にほかなりません。

作者・小田雅久仁、
ただ者ではなさそうですが、
今現在の著作物は
まだ数点にとどまっています。
この先の動向が
気になる作家の一人です。

(2019.8.10)

Yuri_BによるPixabayからの画像

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