人生は川の流れ
「蛍」(織田作之助)
(「百年文庫024 川」)ポプラ社

「耳の肉のうすい女は
不運になり易い」という
伯父の言葉を信じ、
自分の行く末をあらかじめ
諦めるようになった登勢。
彼女は船宿寺田屋に嫁ぐが、
夫は頼りなく、姑は気難しく、
小姑は意地が悪かった。
しかし登勢は力強く生きる…。
「諦める」ことは、
決していいことではありません。
どちらかというと「好ましくないこと」
なのではないでしょうか。
でも「諦観」は違います。
辞書を引くと「全体を見通して、
事の本質を見きわめること」
「悟りあきらめること」
「超然とした態度を
とること」とあります。
本作品の登勢の生き方は、
「諦め」ではなく「諦観」なのでしょう。
姑の嫁苛めに対して
「この日からありきたりの嫁苛めは
始まるのだと咄嗟に諦め」、
潔癖症で店の仕事を一切行わない
夫に対して
「乾いた雑巾から地を絞り出すような
苦労もいとわぬ」、
もはや悟りの境地に達しているのです。
わずか20数頁の中に、
そのような登勢の一生が
流れるように描かれています。
それは作者・織田作之助の
文体もまた淀みのない
流麗さを持っているからです。
一つは「」を用いずに、
人物の語りを書き言葉の中に
少しの不自然さも感じさせないように
織り込んでいること、
一つは場面と場面を途切れることなく
つなぎ合わせていること、
そして一つは簡潔でありながらも
丁寧で緻密な表現を
重ねていることなのです。
まるで一幕ものの舞台を
見ているかのように、
筋書きは淀むことなく
滔々と流れていくのです。
人生はよく川の流れに
たとえられるのですが、
この作品を読むと
確かにそんな気がします。
さて、本作品は、そうした
登勢の苦労話だけではありません。
読みどころのもう一つは
坂本龍馬との邂逅です。
登勢が急逝した町医者の
娘・お良を養女にしたのですが、
お良は成長した後、龍馬と出会います。
そしていち早く危機を察知し
龍馬の命を救います
(寺田屋遭難:入浴中だったお良は
奉行所の一行による龍馬襲撃の
気配を知った途端、
裸のまま坂本の部屋へ急を知らせた)。
登勢の人生という一本の川が、
お良という小さな川と寄り添い、
その流れが大きくなったところで、
坂本龍馬という激流の川と交錯する。
読み終えた後は
長編映画でも見たかのような
心の充足感を感じました。
織田作之助の味わい深い逸品、
いかがでしょうか。
※なお、史実とはやや異なります。
養女お良(りょう)は「お龍」、
家は樽崎となっていますが
「楢崎」です。
登勢も寺田屋の女将として
実在しているのですが、
どこまで史実でどこからが
織田作の創作なのかわかりません。
調べてみると楽しそうです。
〔青空文庫〕
「蛍」(織田作之助)
〔「百年文庫024 川」〕
蛍 織田作之助
吉備津の釜 日影丈吉
津の国人 室生犀星
(2019.8.19)

【織田作之助の本】
【百年文庫はいかがですか】
【今日のさらにお薦め3作品】
【こんな本はいかがですか】