一般庶民が書いた一般庶民のための初めての文学
「放浪記」(林芙美子)新潮文庫

借銭をしてまで辿り着いた尾道。
しかし母の稼いだ金は、
すべて義父の博打打ちに
使われていた。
「私」は仕方なしに
母とともに行商に勤しむ。
働いても豊かにならない生活。
「私」はふと
「風琴と魚の町」という物語を
書こうと思う…。
現代のワーキング・プアの
話ではありません。
作家・林芙美子がまだ
貧乏のどん底だった頃の
自身の日記をもとに描いた
小説「放浪記」です。
一応このように書いてみましたが、
全540頁を超える本編に、
粗筋らしきものはありません。
本当に普通の日記(の抜粋)なのです。
それも「貧乏日記」です。
貧乏といっても
ただの貧乏ではありません。
一文無しになった場面が
何回出てきたことか。
その日食べるものがないのです。
働いて得た僅かな給金は、
みな右から左へと
流れるように消えていくのですから。
そのたびに「もう死んでしまいたい」
「いっそ女郎屋へ身を売ろうか」などと
絶望の叫びが綴られていくのです。
そんなものが本として売れるのか!?
いえいえ、出版された昭和5年当時、
ベストセラーとなった小説です。
林芙美子最大のヒット作といっても
いいでしょう。
売れた理由の一つは
その貧乏を何とか切り抜け、
明るく生き続けてきたことに
あるのでしょう。
日雇いの仕事を見つける、
着物を質に売る、
頭を下げて知人から借りる。
ありとあらゆる方法で
生き延びているのです。
ここには貧乏に
真っ正面から立ち向かっている、
いや、貧乏と仲良くつきあっている
明治生まれのたくましい女性の姿が
描かれているのです。
もうひとつはその庶民的な文章の
親しみやすさにあります。
現代の作家であればそのような文体は
ごく当たり前なのですが、
漱石やら谷崎やら川端やら
格調の高い文章を
みなこぞって書いていた
昭和初期の文壇にあって、
そのような庶民の言葉で語る作家は
彼女以外にはいなかったのです。
つまりこの「放浪記」は、
一般庶民が書いた一般庶民のための、
初めての文学だったのです。
林は貧乏な家庭に生まれたのですが、
高等女学校を卒業しています
(当時としては希な例)。
それも親からの学費に頼るのではなく、
夜間工場のアルバイトをこなしながら、
死にものぐるいで通い続けたのです。
「放浪記」は貧乏人がただ世の中を
嘆いているだけのものではなく、
教養にしっかりと裏打ちされた、
れっきとした文学作品なのです。
だからこそ時代を超え、
現代でも版を重ねることが
できているのです。
(2019.8.24)
