「宿題」(安岡章太郎)①

何とも悩ましい問題です

「宿題」(安岡章太郎)
(「海辺の光景」)新潮文庫

弘前の小学校から東京へ
転校してきた
小学校5年生の「ぼく」は、
大量の夏休みの宿題を、
最後の一日を徹夜し、
ごまかして完成させる。
それもつかの間、
2学期の毎日の宿題を
処理することができず、
「ぼく」は学校をさぼり…。

私の住む地域では
今日が夏休み最終日です。
教職について以来、
こんな状況に陥った生徒を
何人見てきたことやら。
本作品を読むと、
学習に意欲を持てない子どもや
不登校の子どもの気持ちに、
改めて気付かされます。

「ぼく」は今でいう不登校生徒です。
現代の不登校とちがうのは
自宅に引きこもっていない
ことでしょうか
(この違いは大きいのですが)。
「ぼく」は誰も来ない墓場で
毎日を過ごします(子どもたちが
逃げ場として墓地を選ぶのは
実際に例が多い)。
しかし、それはやがて
母親の知るところとなるのです。

なぜ学校がいやなのか?
一言でいうと
「授業がわからない」からです。
弘前の小学校とちがい、
「ぼく」が転校してきた学校は
いわゆる進学校です。
カリキュラムは一足進んでいて、
6年生の内容を学習していたのです。
だからわからない。
わからないからつまらないのです。

はじめのうちは宿題を忘れた罰に
立たされているのですが、
「ぼく」はそのこと自体は
苦痛に思いません。
だから次の日も忘れるのです。
そして、他の子とちがい、
進学することがどういうことか
よくわかっていません。
だからまともに
取り組もうとしないのです。
つまり、
必要感や危機意識に乏しいのです。

ふと考えてしまいます。
では、学校がどうであれば
「ぼく」は学校をさぼらずにすんだのか?
一つは「わかる授業をすること」、
もう一つは「学習の意義を丁寧に
説明すること」となるでしょうか。

ただし、多人数を相手にして
全員が理解できる授業を行うとなると、
内容を精選し、
授業のレベルを落とす必要があります。
それを進学校に求めるのは
難しいでしょう。
また、学習の必要性や
進学の意味を理解するには、
「ぼく」はあまりにも幼すぎました。
個別指導をしたとしても、
限界があると考えられます。

中学校の一つの学年に
所属している生徒は、
精神年齢で±2歳くらいの
開きがあります。
つまり中学校1年生の教室には、
小学校5年生から中学校3年生の
標準的な子どもが混在しているのと
同じ状況なのです。
すべての子どもたちに満足してもらえる
授業の実現に取り組んでいるのですが、
未だ道半ばというところです。
何とも悩ましい問題です。

(2019.8.25)

いおりんさんによる写真ACからの写真
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