「宿題」(安岡章太郎)②

「閉塞感」や「先行き不透明感」を払拭しなければ

「宿題」(安岡章太郎)
(「海辺の光景」)新潮文庫

さて前回、
「何とも悩ましい問題」として、
成長の個人差による
学習意欲の喪失の問題に触れました。
本作品の終末部には、
さらなる問題を
提起している箇所が見られます。

「僕」は学校をさぼり、
行く当てもなく歩いた末、
町の壁に貼ってある
「戦争絶対反対」のビラを見つけ、
それを剥がしながらこう考えます。
「そうだ戦争がなきゃだめだ。
 戦争がもっとあれば、
 先生は兵隊へ行くと云っていた。
 みんな行っちまえ。
 重べえも金原先生も原先生も、
 みんな行けばいいんだ。
 南学校なんか燃えちまえ。」

自ら努力することなく、
世の中が自分の思い通りに
ならないのは、
周囲の人間や社会が
悪いからだと決め込み、
自分の願いを達成するためには
それらが破壊されることを望む。
これはまさしく
テロリズムの論理と軸を一にします。

もちろん、作者は
戦争を望んでいるのでも
テロを容認しているのでもありません。
幼い頃に感じた自分の気持ちを
率直に書き表している
だけのことに過ぎないのです。
しかし、
諸外国にテロの嵐の吹き荒れる現代、
考えなければならない点が
そこにひそんでいると思うのです。

共通する空気は
「閉塞感」でしょうか。
現代は世界的に経済が低迷し、
重苦しさがつきまといます。
一方、作品中の「僕」の通う学校は
東京の進学校であり、
戦争間近の時代の流れと相まって、
やはり息苦しさを感じさせます。

もう一つの共通項は
「先行き不透明感」でしょうか。
混沌とし、安定しているものの
なくなった現代です。
それと同じく、「僕」は
植民地学校から弘前、
そして東京と転校を重ねるにつれ、
集団の中での自分の位置付けが
低下していきます。
「以前は良かったのに、今は…」
という思いを抱えているのです。

「閉塞感」や「先行き不透明感」を払拭し、
状況を根本から
改善していかない限り、
テロも不登校も
なくならないのかもしれません。
テロと不登校を
一絡げにしてはいけないのですが。

本作品は次のように結ばれます。
「僕は次のビラを
 はがしにかかりながら、
 まだ夢を見続ける。
 …学校の名誉を高めた
 この生徒のために特に、
 夏休み以来の宿題が
 全部許される夢を。」

夏休みは今日で終わりです。
こんな夢を見なくてもいいように、
しっかり頑張ることができる
子どもたちであってほしいものです。

(2019.8.25)

夏男さんによる写真ACからの写真

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA