「ふるさとびと」(堀辰雄)

三村夫人とも菜穂子とも違う、一人の女性の生き方

「ふるさとびと」(堀辰雄)
(「菜穂子・楡の家」)新潮文庫

牡丹屋の娘おようは
村のホテルの長男に嫁いだが、
身籠もると実家に帰り、
それきり離別する。
おようは以前とは打って変わって
勝ち気な女となり、
牡丹屋を切り盛りしていく。
おようはそれから何年たっても
その頃のままでいた…。

先日取り上げた
織田作之助「蛍」を読んだとき、
本作品と同じような読後感を
持ったことを思い出し、
取り出してみました。
「蛍」と本作品は、
筋書きも時代背景も主人公の性格も
まったく異なるのですが、
一人の女性の凜とした半生を、
短篇という枠の中で
流麗に描ききったという点で
きわめて似た香りがするのです。

さて本作品、「楡の家」「菜穂子」
併録されているため、
これまではその付け合わせの
ようなものとしてしか
捉えていませんでした。
本作品だけを読んだとき
(これで再々読となります)、
おようの人物像が
際立って感じるととともに、
本作品の独立した価値に
気づかされました。

おようの結婚は、旧来の親同士の結婚、
それも相手はおようの家の
「家柄」を求めての結婚でした。
その結婚生活の詳細は
一切述べられていませんが、
作品後半に「自分はあんな不しあわせな
結婚をさせられてしまって」という
述懐がある以上、
不幸な結婚だったことは
間違いありません。

当時であれば、相手は財産家であり、
我慢するのが肝要と
思われていたのでしょう。
それを我が子のことを思い、
そして自分自身の
納得のゆく将来のために、
自ら離婚を望み、決断し、
速やかに実行したのです。

その後の生活は決して幸せなものとは
言えないのかも知れません。
娘が怪我による後遺症で歩けなくなる。
牡丹屋を再建した父親が亡くなる。
牡丹屋の本家から
立ち退きを求められる。
弟・五郎も病気で立てなくなる。
それでも襲いかかる不幸に
負けることなく、
弟とその嫁・おしげ、娘・初枝と
4人で健気に生きていくのです。
その様子は、本作品よりも
「楡の家」「菜穂子」の両作品に
描出されています。

「楡の家」では、
菜穂子の母・三村夫人と
久しぶりに会ったとき、
彼女にこのような印象を残します。
「私にはおようさんは
 勝ち気な性分で、
 自分の背負っている運命なんぞは
 何でもないと思っているような
 人に見える」

「菜穂子」では、明がおようと接触し、
こう印象を語っています。
「もう四十に近いのだろうに
 台所などでまめまめしく
 立ち働いている彼女の姿には、
 まだいかにも娘々した動作が
 その儘に残っていた」

三村夫人の生き方とも
菜穂子の生き方とも違う、
一人の女性の生き方が
そこに記されています。
本作品「ふるさとびと」は、
やはり独立した価値を持った
見事な作品です。

(2019.8.27)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA