「鼻」(ゴーゴリ)

読書は楽しむに限ります

「鼻」(ゴーゴリ/浦雅春訳)
(「鼻/外套/査察官」)
 光文社古典新訳文庫

コワリョフが目覚めると
鼻が消えていた。
街へ探しに出ると、
なんと鼻は衣装をまとい
馬車から降りてきた。
彼は鼻を追うが捕まらない。
そうこうしているうち、
警察官が鼻を見つけて
届けてくれる。しかし鼻は
顔にくっつかない…。

目覚めたら鼻がない!
そんな奇想天外な物語を、
19世紀のロシアのゴーゴリが
著しています。
鼻がとれるだけではなく、
その鼻が服を着て立派に歩き、
持ち主と丁々発止のやりとりを
するのですから奇怪千万です。
その情景をイメージしてみようと
試みるのですが、
凡人の創造力では困難です。

こんな物語は実写化できないだろうと
安易に考えていたら、
なんとショスタコーヴィチが
オペラ化していました。
どのような舞台になっているのだろう?
歌手は「鼻」をどう演じているのだろう?
映像作品を探しているのですが、
入手できていません。
いつか観てみたいと思います。

さて、本作品、面白いだけでなく、
謎に包まれています。
粗筋で紹介したのは3つの章の
「2」の部分だけです。
前後はどうなっているかというと…。

「1」
ある朝、床屋の亭主が
焼きたての朝食のパンを切ると、
中から鼻が出てきた。
どう見ても鼻。
処理に困った亭主は
街の橋から鼻を投げ捨てる…。

「3」
ある朝、コワリョフが目覚めると、
鼻が元通り、
何事もなかったかのように
自分の顔にくっついていた。
彼は髭を当たってもらうために
床屋へ行く…。

「1」「3」に登場する床屋・
イワン・ヤーコヴレヴィチの役割は
一体何なのか?
なぜコワリョフの「鼻」はイワンの朝食の
パンの中から発見されたのか?
それらは何かを意味しているのか?
なぜ鼻は突然離れ、
突然くっついたのか?
もし本作品が寓話であるとすれば、
こうした設定の裏側に
何かが潜んでいるはずなのですが、
私の読解力ではわかりませんでした。

ただ、本作品を読んで
私が思い浮かべたのは
カフカ「変身」です。
男がある朝目覚めると
一匹の毒虫に変身、
家族に見放されるという小説です。
本作品以上の荒唐無稽さですが、
虫への変身は、身体に対する
重大な障害を暗示しています。

本作品も同様に、
「鼻の喪失」は生命に関わらないものの
「重大な権利侵害」等を表現、
周囲に訴えても
だれも救済に手を貸してくれない、
偶然にも原状回復がなされるが、
いつまた同じ状況に陥るか
気が気でない、というものではないかと
推測しました。

ゴーゴリの「鼻」1834年完成。
カフカの「変身」1915年出版。
「鼻」の方がだいぶ早かったのですが、
もしかしたら何か繋がりが
あるのかもしれません。

まあ、あまり難しく考えなくても、
読書は楽しむに限ります。
浦雅春の落語調の訳文とともに、
楽しく作品を味わいましょう。

(2019.8.30)

José Manuel de LaáによるPixabayからの画像

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