「旅の絵」(堀辰雄)

私小説か?いいえ、堀独自のスタイルの小説です

「旅の絵」(堀辰雄)
(「風立ちぬ・美しい村・麦藁帽子」)
 角川文庫

生活に疲れた「私」は、
旅に出て神戸駅付近の
小さなホテルに宿泊する。
夜、ホテルの階段で
綺麗な少女が寝巻きのまま
歩いているのを見る。
翌日朝食会場で
隣のテーブルにいた
年増の外国人女性が
昨夜の少女のような
気がしてくる…。

堀辰雄の掌篇ですが、
無理して書いた粗筋は
ほとんど意味をなしません。
明確な筋などないのですから。
主人公「私」同様に、
東京での人間関係に疲れた
作者・堀辰雄が、神戸旅行をした際に
得た素材で創った作品なのです。

一読するとエッセイのように感じます。
「私」=堀であることは明白であり、
宿泊したホテル名「HOTEL ESSOYAN」も
実際の通りなのですから。
では当時一般的だった私小説か?
いいえ、本作品は
私小説に西洋的なフィクションを加えた
堀独自のスタイルの小説なのです。

従来の私小説的部分は
「私」の不安定な心情の描写であり、
それが本作品の一つめの
読みどころとなっています。
様々な不安を抱えていたのです。
愛する人を失うかも知れないこと。
死に恐怖し始めたこと。
そうした不安にやがては慣れ、
それが平気に思えるようになること。
「私」の苦渋は解決されるどころか
さらに深まります。

肺結核という宿病を抱えた
我が身の行く末、
関東大震災による母親の死、
師と仰ぐ芥川龍之介の自死など、
常に死と向かい合って
生きてきたのです。
そうした堀の不安定な心情が
本作品にはきわめてストレートに
表出しているのです。

西洋的フィクション部分は、
最初に記したとおり、
ホテルに投宿している
美しくなったり醜くなったりする
少女に関する話と、
ホテルで読んだ原書のハイネの詩を
帰宅後に調べると、
そのときの自分の心情と
重なっていることに気づいて
驚いたという話の部分であり、
それが本作品の読みどころの
二つめとなっているのです。

プルーストやラディゲといった
フランス文学を意欲的に吸収した堀は、
そのエッセンスを
自身の作品に取り入れ、
新しい小説の形式と方法を模索して
独自の作風を確立し始めた時期でした。
以後の堀作品に見られる
ロマネスクの萌芽が
本作品にはしっかりと見られるのです。

「わけがわからない作品」で
片付けられてしまう可能性のある
小品ですが、
堀作品の文学的変遷を知る上で
本作品の価値は
決して小さくありません。
よろしかったらご一読を。

※堀作品の多くが
 文庫本から消えつつある現在、
 本作品を収めた角川文庫版は
 貴重な存在です。

(2019.9.11)

S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「旅の絵」(堀辰雄)

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