「秋」(芥川龍之介)①

まるで暗号で書かれたかのような近代心理劇

「秋」(芥川龍之介)
(「百年文庫006 心」)ポプラ社

信子と従兄の俊吉は
互いにひかれ合っていたものの、
彼女は妹・照子と
俊吉の仲を取り持ち、
自らは商社に勤める男と結婚した。
妹もまた俊吉を
愛していることを知り、
身を引いたのである。
2年後、信子は
妹夫婦の新居を訪ねる…。

早い話が信子・俊吉・照子の
三角関係を描いたものなのです。
でも昼メロになるような
俗っぽい三角関係ではありません。
三者がそれぞれに
「心の奥底に仕舞った思い」だけの
三角関係なのです。

読みどころは結婚の二年後、
信子が俊吉・照子夫婦宅を訪れたときの、
照子が姉の信子に
嫉妬心を顕わにする場面でしょう。

妹宅に泊まることにした信子は、
夜更けに俊吉に誘われ、わずかの時間、
二人で庭先から月を眺める。
照子は夫の机の前で一人電灯を眺める。
たったこれだけのことなのですが、
そこには三人の思いが揺れ動きます。

月を見るために
庭の隅の檜の下まで
信子を連れて行った俊吉は、
「鶏小屋へ行って見ようか」と、
さらに反対の庭の隅まで
ゆっくり歩きます。
行動にも言葉にも表さない
俊吉の信子に対する思いが
淡い幻灯のように浮かび上がります。

鶏小屋の前で信子は
「玉子を人に取られた鶏が」と、
そこに自分自身を重ね合わせます。
夕食時の俊吉の「人間の生活は
略奪で持っているんだね」を
念頭に置いたものです。

二人が月を見ていたそのときに、
ぼんやりと一人
電灯を見つめていた照子。
照子を取り残したことに
気付かない二人と、
二人に取り残されたことが
深く身に染みている照子の姿が、
月と電灯によって対比されています。

作者芥川は、三人に具体的な行動を
起こさせてはいません。
直接的な思いも書き込んでいません。
それでいて三人それぞれの
切なる思いが推察できるように
描出してあるのです。
あたかも三人が、
お互いに無意識のまま
心理的な駆け引きを
してしまっているかのようです。

まるで暗号で書かれたかのような
近代心理劇としての本作品。
深い底の部分に隠されてあるものを
丹念に掬い上げるような読み方が
必要となります。
小説としてのスタイルも文章の趣も、
初期の傑作群とは大きく異なる、
芥川の
ターニング・ポイント的な一編です。

(2019.9.15)

【青空文庫】
「秋」(芥川龍之介)

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