心を照らす他者の存在、我と汝の物語。
「百年文庫044 汝」ポプラ社

「もう一人の私 吉屋信子」
生後まもなく死んだ双子の姉が
いたことを知った「わたくし」。
戒名は「夢幻秋露童女」。
その姉は、
「わたくし」が高校生のとき、
映画館の薄暗いトイレで
最初に現れた。
私そっくりの姉は
まさに「もう一人の私」。
彼女が再び現れたのは…。
「チョコレート 山本有三」
就職にあふれていた恭一は、
実業家として成功した父親から
いつも渋い顔で見られていた。
ある日、彼は父親から
「愛国紡績の専務が
おまえに会いたがっている」と
切り出される。
彼は、父親が裏で
手を回してくれていたことを
察して…。
「自由詩人 石川達三」
「詩人」・山名は
ぶらりとやってきては
「私」の煙草を吸い、
借金を申し込み、
酒を飲んで帰っていく。
彼は貧乏ではあるが、
毎月三万円ぐらいの収入があり、
それは「私」と大して違わない。
彼は自由に
心のままに暮らしているのだ…。
百年文庫38冊目読了です。
テーマは「汝」。
意味を調べてみると、
「二人称の人代名詞。
親しみの気持ちで相手をさす。」
「相手を卑しめていう語。」
では、これら3作品と
どう関わってくるのか?
カバー裏に「心を照らす他者の存在、
我と汝の物語。」とありました。
なるほど、それぞれ個性的な「他者」が、
主人公の心に「自分の有り様」を
問いかけていると見ることができます。
「もう一人の私」では、
ドッペルゲンガーとしての「姉」が、
幸せに浸っている
「わたくし」の心に波紋を広げ、
身の処し方を悟らせています。
「チョコレート」では、
偶然出会った同期生が、
自分の縁故採用の
犠牲となっていたことを知り、
自分の生き方を立ち止まって考える
きっかけとなっています。
「自由詩人」では、
破滅型の人生を歩んでいる
「詩人」の姿から、
平凡でありふれた自分の人生の
「価値の高さ」をしみじみと
感じているかのようです。
「人と比べてはいけない」とは
よくいわれる言葉です。
しかし、他者と比較しなければ
知りようのない
「自分の立ち位置」というのも
確かにあると思うのです。
そしてその「他者」が
平均的な人物像ではなく、
きわめて癖の強い「誰か」であれば、
それまで気付かなかった
自分の在り方が
鮮明に見えてくると思うのです。
私たちは忙しい生活の中で、
ともすれば自分を見失い、
漂流者のような生き方を
していることに気付かされます。
そのようなとき、
遠くから強い光を放つ
灯台のような人との出会いは、
自分に位置情報を与えてくれる
貴重な機会となるはずです。
日々を生きる中で、積極的な出会いを
自ら求める必要があります。
もっとも、ドッペルゲンガーには
出会いたくありませんが…。
(2019.9.21)
