「春琴抄」(谷崎潤一郎)②

仮想世界で生きることを決心した佐助の愛

「春琴抄」(谷崎潤一郎)新潮文庫

自ら盲目となった佐助は、
それ以後も春琴の
身のまわりの世話をするとともに、
春琴に代わって弟子の稽古を付け、
一家の生計を支えた。
しかし佐助は春琴と
決して正式に結婚しようとはせず、
従来の主従関係を
頑なに守り通した…。

前回、本作品の佳局として、
佐助が自らの眼を潰し、
春琴と心を通わせた場面を
取り上げました。
春琴が容貌を変え、
佐助が自ら両眼を潰すまでの三十年間、
二人は主人と奉公人であり、
師匠と弟子であり、相弟子関係であり、
実質上の夫婦でもあったのです。
それがこの瞬間、
おそらく本当の意味で
心が通い合ったはずであり、
尋常であれば対等の夫婦関係となる
可能性があったと思われます。

しかし佐助はそうしませんでした。
以前と変わらず、あくまでも奉公人、
そして弟子という立場を崩さず、
最後まで、いや、
自らの命がついえた後も
春琴をひたすら奉り続けたのです。
なぜ二人は対等な関係へと
進展しなかった(させなかった)のか?
次の場面にそうした佐助の真理を解く
手掛かりが記されています。
「どこまでも過去の
 驕慢な春琴を考える
 そうでなければ
 今も彼が見ているところの
 美貌の春琴が破壊される」

そして、
「めしいの佐助は現実に眼を閉じ
 永劫不変の観念境へ飛躍した」

自ら視力を失った時点で
佐助が愛を捧げたのは、
現実世界の春琴ではないのです。
まぶたの奥に永遠に息づいている
かつての春琴、
驕慢で尊大な春琴、
自分に対して嗜虐的な言動に及ぶ
春琴なのです。
現実の春琴に仕えているのは、
あくまでも観念上の春琴を
呼び起こすための媒介に過ぎません。
いわば佐助は仮想世界で生きることを
決心したのです。

かといって佐助の愛は
決してまがい物ではありません。
彼にとって春琴への愛とは、
未来永劫彼女を美しいままに
記憶しておくことであり、
かつ命の続く限り
いやその身が滅んでも全てを捨てて
彼女に傅くことにあったのです。
そしてその姿勢は、
彼女があの世に召されてからも
変わることがなかったのです。
「八十三歳と云う高齢で死んだ
 察する所二十一年も
 孤独で生きていた間に
 在りし日の春琴とは
 全く違った春琴を作り上げ
 いよいよ鮮かにその姿を見ていた」

一見、被虐的とも思える佐助の愛の形は、
異世界に棲んでいるような
春琴を愛する上で、
これ以外とりようのないものだったに
違いありません。
春琴同様、佐助の愛もまた
常人では理解不能の域に達しています。

春琴と佐助、両者の愛は、
それぞれ異なった形態をとりながらも、
どちらも極限まで純度を高め、
何一つ混じることのない
完全な結晶として描出されています。
本作品は、やはり谷崎の、
いや日本文学の最高傑作と言って
間違いないでしょう。

(追伸)
現実世界の生身の女性を避け、
仮想世界の存在しない女性に
愛情を捧げる。
佐助は、現代の仮想現実世界を
先駆けること八十余年、
オーディオもビジュアルも何もない
明治の時代にすでに
バーチャルリアリティを
体感できていたともいえます。
明治生まれの文豪谷崎は、
このときすでに「想念上で
性的欲求を満たせる現代の男」の登場を
予見していたのではないでしょうが、
その感性の鋭さには
やはり恐ろしさを感じざるを得ません。

(2019.9.23)

Steve BuissinneによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「春琴抄」(谷崎潤一郎)

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