「父親」(ビョルンソン)

壮大なドラマを見たかのような錯覚を覚えます

「父親」(ビョルンソン/山室静訳)
(「百年文庫051 星」)ポプラ社

息子が誕生したトオルは、
さっそく村の教会へ
洗礼の日取りを相談しに行く。
彼は堅信礼、そして婚礼と、
教会を訪れ
一人息子のために寄進した。
しかしその息子はある日、
船から海へ転落し、
帰らぬ人となる…。

息子の誕生から
早すぎる死までの二十数年間を、
約8ページに凝縮した短篇作品です。
そのほとんどがトオルと牧師の
何気ない会話で構成されています。
というよりも、
息子の人生の節目に
教会を訪問するトオルの姿が
淡々と描かれているだけなのです。
その割には、読み終わると
壮大なドラマを見たかのような
錯覚を覚えます。

トオルは教区内で一番の有力者。
その一人息子は堅信礼で第一席を受け、
さらに教区内一の富豪の娘と
婚約したのですから、
さぞかし自慢の種でしょう。
親としては幸せの絶頂であり、
子育てを立派に果たし終えようと
していたところだったはずです。
それが一瞬にして暗転します。

ここまでの場面は、
洗礼、堅信礼、婚約の
三度にわたる牧師への訪問のみです。
登場人物も
婚約のときに関係者が同行しますが、
台詞はありません。
トオルには妻もいたのでしょうが、
全く文面には現れません。
それでいながら、
トオルと牧師の会話から、
一人息子が20年もの間、
愛情をたっぷりと注がれて
大切に育てられていることが窺えます。

その一年後、彼は再び牧師を訪れ、
家屋敷を処分した金を持参し、
息子の名を付けた基金の
創設を申し出ます。
「お前はこれから何を
 しようというんだね、トオル?」
「何かいいことをしたいもんで」
「いまではわたしは思うよ、トオル、
 お前の息子は、とうとうお前の
 祝福になったのだ、とな」
「さよう、いまではわしも、
 それを信じていますわい」

息子の死からの一年間のことも、
やはり何ひとつ書かれていません。
しかし、この何気ない会話と、
「痩せて、髪がすっかり白くなっ」た
トオルの容貌の変化の記述とを
あわせて考えたとき、
想像を絶する懊悩煩悶と、
それを乗り越え得た人間の強さとが
胸に迫ってくるのです。

読んでいる私が自分の人生を
勝手に重ね合わせている
だけなのかも知れません。
いや、作者ビョルンソンは
読み手のそうした心理を
計算に入れて本作品を
書き上げた可能性もあります。
調べてみると
ビョルンソンはノーベル賞作家。
納得です。

(2019.9.28)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA