「51歳からの読書術」(永江朗)

人生経験と読書経験の積み重ねによって得られるもの

「51歳からの読書術」(永江朗)六曜社

しまった、つい買ってしまった。
いけない、いけない、
文庫本・新書本以外は
買わないと決めていたのに。
タイトルに妙に引かれて
買ってしまいました。

「51歳からの読書術」。
このタイトルが
50歳であっても52歳であっても
買わなかったでしょう。
ピンポイントで51になっていた
2年前に出会った本です。
そのときはまさに自分のための
一冊のように思えたのです。

読んでみました。
新しい発見は少なかったのですが、
むしろ私自身がこれまで感じたこと、
考えたことが随所に現れていて、
「うんうん、そうだよね」と、
うなずきながら読むことができました。

一つは自分の年齢がすでに
夏目漱石の没年齢を
超えたことによる、
文豪への見方の変化です。
「漱石のあらゆる作品は、
 今のオレよりも
 若かった漱石が書いたわけで、
 それは年下の若造が書いた小説だ。
 若造が書いた小説に、
 何びびってんだよ、オレ」

かなり大胆な表現をしていますが、
その通りなのです。

考えてみれば漱石だけでなく、
太宰にしろ芥川にしろ、
多くの文豪の没年齢を
すでに超えてしまっているのです。
これまでと違った読み方が
できるのではないかと
思わせられました。
もちろん、
文豪たちへのリスペクトは
忘れてなりませんが。

もう一つは年齢を重ねるたびに、
作品に対する読みが
深くなるということです。
「五十一歳からの読書には、
 それまで重ねてきた
 読書の経験が生きる。
 見るもの聞くもの
 何でもが『初めて』の
 青春の読書とは違う。
 中年には中年なりの、
 若者にはまねのできない読書がある」

最近自分が漠然と感じていたことが、
文章として表されたものを読み、
すっきりした気分になれました。

自分の人生経験と
読書経験が積み重ねられると、
それだけ作品に内包されている
情報・世界観・時代背景・
登場人物の感情・作家の込めた思い・
現実社会との関連、
そうしたものを
受け取りやすくなるのだと思うのです。

共感する部分の多い一冊でした。
目新しいことが書かれていなくても、
自分の考えを肯定してくれる本、
「それでいいんだよ」と
背中から押ししてくれる本は
やはり貴重です。

※タイトルの「術」は
 いらないような気がしました。
 ほとんどが「51歳からの
 読書のあり方に関する
 振り返り」であり、
 方法論の部分はわずかです。
 しかも「厚い文庫本を
 携帯するために
 カッターで切断し分冊化する」など、
 真似したくない「術」が
 書かれてあります。

(2019.10.11)

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