日本という国がこれから歩まざるを得ない「下り坂」
「下り坂をそろそろと下る」
(平田オリザ)講談社現代新書
かつて私が
小学生のころ(昭和50年代)、
駅前の木造店舗が取り壊され、
それに代わって
4階建て・5階建てのデパートが
現れました。
自分の住む町もこれから
どんどん新しいビルが建ち並び、
都会のようになるんだ。
胸がわくわくした記憶があります。
それが現在では両方とも取り壊され、
駅前はまたもとの閑散とした、
いや、かつて以上に
寂れた通りとなりました。
景気が回復したといわれても、
私たちの可処分所得は
一向に増えず、
消費は依然として伸び悩み、
さらに人口減少が
加速しているのですから、
当然といえば当然です。
もしかしてこれからの時代、
経済成長など望めないのでは?
と思っていたところ、
本書と出会いました。
本書が前提としているのは
次の3点です。
①「もはや日本は工業立国ではない」
②「もはや日本は成長社会ではない」
③「もはやこの国は
アジア唯一の先進国ではない」。
その上で、日本という国が
これから歩まざるを得ない
「下り坂」の道筋について、
厳しい分析と
前向きな提案を示しているのです。
私が大いに衝撃をうけたのは①です。
日本という国は
資源のない島国でありながら、
しかも大戦によって
焼け野原となった中から、
工業立国として復興してきた。
それゆえ日本がこれからも
発展していくためには科学技術力を
維持していかなくてはならない。
これまで私は理科教師として
子どもたちにそう教えてきました。
これからはそうではないと
いきなり言われても…、と
困惑してしまいました。
しかし、次の一文を読んで
考えが変わりました。
「ネジを九〇度曲げなさいと
言われたら素直に
九〇度曲げる能力
(=基礎学力)をつけるのが、
工業立国の教育だ。
しかしそんな従順で
根性のある産業戦士は、
中国と東南アジアに、
あと一〇億人ほど控えている。
それだけでは、工場は次々に
海外に移転して行ってしまう。」
「ネジを九〇度
曲げなさいと言われても、
六〇度を試してみようという
発想や勇気、
一八〇度曲げてみました、
なぜなら…と説明できる
コミュニケーション能力や
表現力の方が、
より求められる時代が来る。」
筆者はこうした変革に
対峙する姿勢として、
「寂しさと向き合う」という表現で
説明しています。
自分がこれまで信じてきたものを
一度立ち止まって見直し、
柔軟に受け入れていくことが
大切なのかも知れません。
日本という国の形が、
これから変化(縮小)して
行かざるを得ないのであれば、
しっかりとその「下り坂」を
見据えていく必要があるのでしょう。
※参考までに章立てを
序 章 下り坂をそろそろと下る
第一章 小さな島の挑戦
―瀬戸内・小豆島
第二章 コウノトリの郷―但馬・豊岡
第三章 学びの広場を創る
―讃岐・善通寺
第四章 復興への道―東北・女川、双葉
第五章 寂しさと向き合う
―東アジア・ソウル、北京
終 章 寛容と包摂の社会へ
(2019.10.13)