漱石が最後に宛てた恋文だったのかも知れない
「文鳥」(夏目漱石)
(「文鳥・夢十夜」)新潮文庫

人に薦められて「自分」は
可憐な文鳥を飼い始める。
「自分」はその文鳥を可愛がるが、
文鳥はなかなか懐こうとしない。
「自分」は次第に
文鳥の世話が億劫になっていく。
夜遅く帰ったある日、
「自分」は鳥籠を
箱に入れるのを失念し…。
若い頃、この作品を読んで、
何が言いたいのか
よくわかりませんでした。
しかし何度か再読し
咀嚼してみると
見えてくるものがあります。
真っ先に気が付くのは
家族の姿が本作品には見えないこと。
最後の場面で娘・筆子の名が
見られるだけで、
あとは下女が登場するのみです。
鳥を飼うこと自体、
明治という時代背景を考えると
珍しいことだと思うのです。
家族が鳥に集まりそうなものですが、
そうした記載はありません。
当時の漱石は創作活動に没頭すると
些細なことで癇癪を起こす癖があり、
家人はみな書斎には
近づかないようにしていたようです。
が、それにしても
「自分」は寂しい存在です。
本作品冒頭の「伽藍のような書斎に
ただ一人」という表現は、
作者漱石の孤独感を
表しているものと思われます。
次に気付くのは不自然に挿入される、
昔知っていた「女性」。
「昔し美しい女を知っていた。(中略)
文鳥が自分を見た時、
自分はふと
この女の事を思い出した。」
文献によると、
漱石は養父の後妻の連れ子の
日根野れんという女性を、
この文鳥に
重ね合わせたのだといいます。
一説には、漱石はこの日根野れんに
恋心を抱いていたものの
成就しなかったのだそうです。
「自分」は指からじかに
餌を食べさせようと
文鳥に試みるのですが、
「二三度試みた後、
自分は気の毒になって、
この芸だけは永久に
断念してしまった」のは、
その経験に
通じているのかも知れません。
日根野れんは漱石20歳のとき、
他家へ嫁ぎます。
そのことを漱石は
よほど悔やんでいたのでしょう。
こんな記述もあります。
「いくら当人が承知だって、
そんな所へ嫁にやるのは
行末よくあるまい、
まだ子供だから
どこへでも行けと云われる所へ
行く気になるんだろう。
いったん行けば
むやみに出られるものじゃない。
世の中には満足しながら
不幸に陥って行く者が
たくさんある。」
結局「自分」は世話を怠り、
文鳥を死なせてしまいます。
この作品が朝日新聞に連載されたのは、
この日根野れんが病を得て没した
10日後からだそうです。
この作品は漱石が彼女に最後に宛てた
恋文だったのかも知れません。
(2019.10.15)

【青空文庫】
「文鳥」(夏目漱石)