子どもにとっては易しい、大人にとっては難しい
「花もて語れ 10」
(片山ユキヲ)小学館
昨日、鈴木三重吉の童話
「ぽっぽのお手帳」を取り上げ、
「本作品の冒頭と終末だけに登場する、
一ばんおしまいに来た『君』とは誰?」
という問題提起をしました。
「黒」は犬、「にゃァにゃァ」は猫。
「ぽっぽ」は二羽の小鳥。
そして新しく誕生した
三重吉の娘・すず子。
これらの登場人物とともに、
作品の冒頭と終末だけに登場する、
「君」とは誰か。
そして、その謎を解説した
漫画の存在に触れました。
その漫画が本書です。
明らかに「ぽっぽのお手帳」は
すず子誕生の喜びを、
書き手の三重吉が
「君」に伝えたものです。
伝えるべき一番の対象は
すず子であるはずです。
しかし、
作品にすず子が登場している以上、
「君」はここに描かれていない
第三者であるはずです。
もしかしたら三重吉の周囲に、
家族以外の特別な人間がいたのか?
そういう方向で考えていたために、
私は作品に出会ってから約三年、
何もつかめないままだったのです。
そうした大人の一般的な思考では
童話作品の本質に
辿り着かないということを
本書に教えられました。
「君」はやはり「すず子」なのです。
すず子誕生の物語を
一番伝えたい相手は「すず子」以外には
やはりいるはずがないのです。
なぜ一つの物語の中で
「すず子」と「君」を使い分けたのか?
作品中の「すず子」は
誕生前後の物心つかないすず子です。
一方、「君」とは「ようやく童話が
理解できるようになってきた、
2~3歳の『すずちゃん』」という
解釈でした。
一般の文学作品は、読み手が客観的に
作品世界を味わうことも可能であり、
そうした読み方が
作品の本質的な理解に繋がります。
しかし童話とは、
読み手がその世界の中に
入っていかなければ
その世界を十分に味わうことの
できない文学なのです。
童話の作品世界に入りこむ。
それが可能になるのが2~3歳です。
「この物語は、
三重吉がすゞに合わせて
書いたのではなく、
幼いすゞを童話の世界に
背伸びさせている。
理解できるようになってきた
すゞの成長を、
三重吉が喜んでいる。」
さらに本書では
「ぽっぽ」を二羽の小鳥ではなく、
二個の鳩の玩具と分析しています。
確かに「ぽっぽ」は鳩の鳴き声ですが、
生きた鳩を鳥籠に飼うことは
できないでしょうから
玩具と考えた方が自然です。
童話とは、
子どもにとっては易しい世界ですが、
大人にとっては
何と難しい文学なのでしょう。
心を無にして、
もう一度「ぽっぽのお手帳」を
読んでみることにしましょう。
※作品としての紹介が
できないまま終わりました。
本作品は「朗読」を
テーマにした漫画です。
いやはや漫画の世界も奥が深い。
よもや「朗読」が
漫画の素材になるなんて。
※実は「ぽっぽのお手帳」の
謎を知りたくて、
この「第10巻」だけしか
読んでいません。
登場人物の関係やストーリーは
よく呑み込めませんでしたが
面白そうな作品なので
全巻揃えたいと思っています。
(2019.10.18)