忍び寄る戦争の不安を隠し絵のように表現した
「木の都」(織田作之助)
(「日本文学100年の名作第4巻」)
新潮文庫
「木の都」(織田作之助)
(「夫婦善哉」)新潮文庫
十年ぶりに
大阪の町を訪れた「私」。
何気なく入ったレコード店の
店主の顔は、
どこかで見た記憶があった。
降り出した雨に
差し出された傘の名前を見て、
「私」はその店主が、
学生時代に行きつけの
洋食屋の主人であったことを
思い出す…。
「大阪は木のない都だと
いわれているが、
しかし私の幼時の記憶は
不思議に木と結びついている」から
始まる本作品は、特に大きな
筋書きがあるわけではありません。
懐かしい町でふと立ち寄った
レコード店の店主とのやりとりを、
昔の思い出とともに綴っただけの
私小説です。
「私」は何度かこのレコード店に
立ち寄るうちに、
店主の家族構成などを
知ることになります。
二人の子どもがいて、
娘は女学校を卒業、
下の息子は名古屋の工場に徴用され、
寄宿舎に住み込んで仕事をしている、
その子は家が恋しくなり、
無断で帰って来たものの、
すぐに送り返された、ということを
聞き及ぶのです。
年末に「私」が立ち寄ると、
「時局を鑑み廃業仕候」の貼り紙を残し、
レコード店主一家は
名古屋へ引っ越していました。
息子の帰りたがる気持ちを抑えるため、
そして自らの徴用の可能性を考慮し、
そうしたのでした。
作者は次のように締めくくっています。
「口縄坂は寒々と木が枯れて、
白い風が走っていた。
私は石段を降りて行きながら、
もうこの坂を登り降りすることも
当分あるまいと思った。
青春の回想の甘さは終り、
新しい現実が私に
向き直ってきたように思われた。
風は木の梢に
はげしく突っ掛っていた。」
この一文にすべてが表されていると
考えてもいいのでしょう。
レコード店主一家のいきさつは、すべて
戦時下の時局がらみのものでした。
それが他人事ではなく、近い将来、
自分にも降りかかるであろうことを、
「私」は予感しているように
思えるのです。
作品の冒頭で大阪を
「木の都」に見立てた作者は、
「風は木の梢に
激しく突っ掛っていた」で
閉じることにより、
大阪もまた、受難の時を
迎えようとしていることを
指し示しているのでしょう。
本作品は、戦争ムード一色の
昭和19年に発表されています。
戦気高揚のための芸術以外は
規制される現実にあって、
その不安を隠し絵のように
表現したものではないかと思うのです。
特に何か事件が
起こるわけではないものの、
これから大きな禍が
訪れることを暗示させ、
底知れぬ不安をかき立てる
織田作之助の一品、
味わい深いものがあります。
※「日本文学100年の名作第4巻」
収録作品一覧
1944|木の都 織田作之助
1946|沼のほとり 豊島与志雄
1946|白痴 坂口安吾
1947|トカトントン 太宰治
1947|羊羹 永井荷風
1947|塩百姓 獅子文六
1948|島の果て 島尾敏雄
1949|食慾について 大岡昇平
1949|朝霧 永井龍男
1950|遥拝隊長 井伏鱒二
1951|くるま宿 松本清張
1952|落穂拾い 小山清
1952|鶴 長谷川四郎
1952|喪神 五味康祐
1953|生涯の垣根 室生犀星
※「決定版 夫婦善哉」収録作品一覧
夫婦善哉
続 夫婦善哉
木の都
六白金星
アド・バルーン
世相
競馬
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