それこそが「生きるということ」
「老人のための残酷童話」
(倉橋由美子)講談社文庫
前世紀までに出版された
全書物が揃っている図書館。
そこはただ一人の老人が
利用するだけのものとなっていた。
老人は厖大な蔵書の中から
自分に必要なものを消化し、
取り込んでいるのだという。
ある日、
老人が行方不明となり…。
(「ある老人の図書館」)
奇策怪作で知られる倉橋由美子。
読むまでもなく表紙から不健全な匂いの
漂う作品ばかりでしたので、
これまで読むのをためらっていました
(その割に文庫本で
すでに9冊所有していたのですが)。
今回、晩年の作品を読みました。
表題通り、「老人」に関わる
童話(のパロディ?)集です。
姑は老いても食欲だけは旺盛で、
生きている鶏まで食べる始末。
鬼婆に変化する様相が
見え始めたのだ。
夫婦は話し合い、
息子である夫が
初雪の降った日に
彼女を背負って山に捨ててきた。
だが、帰ってきてからの
夫の様子が何か…。
(「姥捨山異聞」)
全10篇の短篇集です。
まずは表題一覧を。
①ある老人の図書館
②姥捨山異聞
③子を欲しがる老女
④天の川
⑤水妖女
⑥閻羅長官
⑦犬の哲学者
⑧臓器回収大作戦
⑨老いらくの恋
⑩地獄めぐり
学者として身を立てていた
一人暮らしの老女は、
八十歳を過ぎてから
自分の子どもが欲しいと願う。
無理を承知で探すものの
その方法は見つからない。
ある日、「神」と名乗る男が
パソコン画面から現れ、
子づくりに協力するという…。
(「子を欲しがる老女」)
予想通り、
エロとグロの世界が展開します。
まともな読書家には
お薦めできない代物です。
しかしながら、そうした醜悪な表面の
奥に描かれているのは
「欲」(生き方)と「死」(死に方)なのだと
思います。
帝から天の川調査を
命ぜられた張騫(ちょうけん)は、
黄河を遡行してそこに辿り着く。
彼は年老いた牽牛と
若く美しい織女に会う。
二人は愛情からではなく、
義務感から年に一度
再会しているのだという。
張騫は織女に好意を抱く…。
(「天の川」)
①は知識欲、
②は食欲、
③は自分の遺伝子を残そうという欲望、
④は性欲、
⑤は不老不死への願望、
⑥は仕事への執着心、
⑦自由な生き方への希求、
⑧生き延びる渇望、
⑨は真理の追求、
⑩は刺激への探求。
人は老いを迎えてなおこのような欲望に
惑わされなければならないのかと
溜息が出てしまいます。
いつまでも年を取らず、
絶世の美女のままの老婆がいて、
「妖婆」と呼ばれていた。
女は驚くべきことに、
年齢とは関係なく、次々と
若い愛人をつくっていた。
愛人たちは女について
「死臭がする」
「水に溺れる感じ」という
言葉を残し…。
(「水妖女」)
しかし、それこそが
「生きるということ」なのだと思います。
生きることは身体や心の奥底から
湧き上がる欲求を実現するための
行為なのだと思うのです。
もちろん、現代社会において
自らの欲望のままに生きることなど
不可能です。
だからこそ、ここに書かれてある
「欲求に突き動かされた生」は、
正直であるとともに異形であり、
素敵であるとともに醜悪であるのだと
思います。
今回はここまでにして、
次回に引き継ぎたいと思います。
(2019.11.23)