「入門書」から一歩踏み込んだ内容です
「綾瀬はるか 「戦争」を聞くⅡ」
(TBSテレビ『NEWS23』取材班編)
岩波ジュニア新書

前回紹介した
「綾瀬はるか 「戦争」を聞く」は、
戦争に関わる本の
「入門書」として最適です。
その続編である本書は、
そこから一歩
踏み込んだ内容になっています。
戦争について
幅広く取り上げるのではなく、
ヒロシマ・ナガサキの原爆の問題に、
これまでとは違った角度で
迫っているのです。
一つはヒロシマで
子どもの死傷者が多かった理由として、
国策により中学校1・2年生が
働かされていたことを
取り上げています。
空襲による火災の広がりを
押さえるため、建築物を間引きし、
更地をつくりだす作業
(「建物疎開」と呼ばれていた)を、
人手不足のために
中学生に行わせていたのです。
しかし、そのため
何もさえぎるもののない土地で、
中学生たちは
被曝することになりました。
危険な場所で
生徒に作業させることに対し、
学校は猛反発したのです。
それに対して
「出席の軍責任者○○中将は、
いらだち、左手の軍刀で床を叩き、
作業遂行上学徒の出動は
必至であると強調し、
議長に決断を迫りました」。
こうしたことが
まかり通っていたという事実。
これまでこうした経緯が
クローズアップされてこなかった問題、
そしてそういう側面から
責任追及がなされた形跡がない点
(単に私が不勉強で
知らなかっただけかも知れませんが)、
いまだに戦争に関わる責任問題は
総括されていないのではないかという
思いが湧き上がってきます。
そんな中で一校だけ
その日生徒を派遣しなかった
中学校もあったとのことです。
「昨日までは毎日強風が吹いて、
敵機の襲来は
ここ十日ばかり全くなかったが、
こんなに天気が回復すれば、
明日あたり空襲が
あるかも知れないと思った」。
子どもたちの命を最優先させる。
当たり前のことなのですが、
それが難しかった時代があったのです。
もう一つ、
長崎の軍需工場へ強制的に移送し、
働かされていた
奄美大島の少女たちが
被曝した問題も見過ごせません。
工場はすでに
空爆の対象になっていたのですから、
命の保証のないところで少女たちは
働かされていたことになります。
被爆した少女たちは、
奄美大島が米軍に占領されたため、
故郷に帰ることもままならず、
その存在は
忘れ去られていったのだそうです。
なぜこの国は
子どもたちを大切にしないのか。
若者たちを危険の最前線に送り出し、
権力を持った年寄りが
安穏として利益を貪っている。
その構図は戦後70年経って
本当に変わったのでしょうか?
私たちはもっともっと
戦争について学ばなくてはならない。
改めてそう思いました。
中学生にぜひ読んで欲しい一冊です。
(2019.12.14)
