「旅する本」(角田光代)

かわってゆくのは本ではなくて、私たち

「旅する本」(角田光代)
(「さがしもの」)新潮文庫

ネパールを旅行する「私」は、
古書店で一冊の本を見つける。
それはかつて
「私」も所有していた、
ありふれた小説であった。
最後の頁をめくった「私」は、
そこに見覚えのある
絵を見つける。
それは間違いなく
「私」が処分した本だった…。

「その本」は18歳のときに
「私」が処分した本。
なぜかその一冊だけ
「本当に売っていいの?」と
古書店の主人から念を押された本。
確かに日本で売り払ったはずなのに、
それをネパールのボカラで
見つける不思議。

さらに「私」は「その本」を
カトマンズでもう一度処分します。
その数年後、
今度はアイルランドの古書店で
「その本」と出会うのです。

まるで「私」に見つけられるために
世界を旅しているような「その本」。
現実では考えられない筋書きですが、
本作品はSFでも
オカルトでもありません。
本と人との
つながりの妙を描いた作品なのです。

ネパールで再読した「私」は、
初読のときと違った印象を
「その本」から受けます。
さらにアイルランドで三たび読み、
またもや「その本」の雰囲気が
異なっていることを感じるのです。
「私」は気付きます。
「かわっているのは
 本ではなくて、私自身なのだ」
と。

こういう感覚は、何も
「自分を追いかけてくる本」でなくとも、
人は普段の読書体験で
感じているのではないでしょうか。
青春のエネルギーに
充ち満ちている十代で読んだ本を、
世の中の酸いも甘いも味わった
五十代で再読すれば、
違ったものを読み取れるはずです。
物事がうまくいかずに
空回りしているときに出会った本を、
人生の割り切り方を
身につけた年齢になって読み返せば、
さらに深いところまで
読み味わうことができるはずです。

本を読むことによって、
人は心を豊かにすることができます。
その一方で、本を読むという作業は、
それを読む人間の
人生経験や感受性という
フィルターを通して成り立つものです。
本は人の心を成長させ、
成長した心をもって人は
本をさらに深く味わう。
それが本と人との
つながりなのだと感じます。

audible

二度までも日本を離れた地で
自分を追いかけてきた「その本」を、
「私」はロンドンで
三たび手放すことを決意します。
それは「その本」との
決別を意味するのではなく、
「その本」とのさらに新しい出会いを
予感してのことなのです。
私たちも「本」との素敵な出会いを
数多く果たしていきたいものです。

(2019.12.16)

〔追記〕
本書は短編集であり、本作品のほかに
次のような作品が収録されています。
だれか
手紙
彼と私の本棚
不幸の種
引き出しの奥
ミツザワ書店
さがしもの
初バレンタイン

(2021.5.16)

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