「フランダースの犬」(ウィーダ)

ここに描かれている状況は21世紀日本の姿

「フランダースの犬」
(ウィーダ/村岡花子訳)新潮文庫

犬のパトラシエ、
そしておじいさんとともに暮らす
貧しい少年・ネロ。
貧しいが故に村の有力者
コゼツ氏から嫌われ、
娘アロアとの交際を断たれる。
ある日、コゼツ氏の
風車小屋で火災が起き、
ネロはあらぬ疑いを
かけられてしまう…。

「パトラシエ」と聞いて、
ピンときますか?
「ああ、あれだろ、
洋菓子職人のことだろ」と
言っているあなた、
それは「パティシエ」です。
日本では「パトラッシュ」という
発音のほうが人口に膾炙しましたが、
村岡花子は「パトラシエ」と
表記しています。

「フランダースの犬」というと、
私などは幼い頃、
TVで見た記憶の印象が大きくて、
つい「読まなくても知っている」と
思ってしまいます。
TV版はたしか30分ものだったのですが、
1年間52話の放映
(今では考えられない!)で、
てっきり大河ロマン的作品だと
勘違いしていました。
原作はたった60頁に過ぎません。

さて、問題は「貧困」なのです。
風車小屋の火災で疑いをかけられたのは
貧しいが故なのです。
村の人々から迫害されたのも
貧しいが故なのです。
あこがれのルーベンスの絵を
見ることができないのも
貧しいが故なのです。
自分の才能を伸ばす機会が
得られないのも
貧しいが故なのです。

幸せはすぐそこにあったのです。
コゼツ氏がネロを探していれば…、
ネロがコゼツ氏の家で
待たせてもらえれば…、
住んでいた小屋を
立ち退かずに済んだのであれば…、
あたかもルーベンスの絵の前に
掛けられている覆いのように、
幸せの一歩手前には
いつも障害が横たわっていたのでした。

結末はご存じの通り、クリスマスの晩、
コゼツ氏の紛失した大金を
届け終えたネロとパトラシエは…。

「ああ悲しい」と
涙を流しているだけではいけません。
なぜなら、ここに描かれている状況は、
19世紀ベルギーどころではなく、
21世紀日本の姿に
ほかならないからです。
子どもの貧困、
親から子への貧困の連鎖、
行政の援助の欠如、
地域コミュニティの機能不全、
経済的序列社会、…。
すべて現代日本社会が抱えている、
解決の糸口すら見えていない問題が、
これ見よがしに描かれているのです。

ネロとパトラシエは
神に召される形で
命の灯火を消していくのですが、
キリスト教徒でなければ
救いにはなりません。
私たちはその背後に存在する問題から
目を背けてはいけないのです。

TVを見るのと本を読むのとでは、
感じるものが違ってきます。
やはり読書は大切です。

※調べてみたら、
 何と菊池寛も翻訳していました。
 こちらは青空文庫に
 収録されています。
 菊池はパトラッシュと
 表記しています。
 パトラシエは
 村岡花子先生だけだったか。

※本作品、おそらく日本では
 一定年齢以上の方であれば
 誰もが知っている有名作品ですが、
 作者ウィーダの出身地英国でも、
 作品の舞台ベルギーでも
 人気は今一つなのだそうです。

(2019.12.22)

PezibearによるPixabayからの画像

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