「クリスマス・キャロル」(ディケンズ)③

私の中のスクルージ

「クリスマス・キャロル」
(ディケンズ/村岡花子訳)新潮文庫

精霊との邂逅の後、
スクルージは
激しい衝撃に襲われる。
しかしクリスマスの
夜明けとともに、
悪夢のような未来は
まだ変えられることを
確信する。
彼は部下の家に七面鳥を贈り、
寄付を申し出、
甥・フレッドの家へと
駆けつける…。

ディケンズのクリスマス・キャロル。
池央耿訳中川敏訳に続き、
最も広く読まれているであろう
村岡花子訳です。

かつて本作品を取り上げたとき、
スクルージは決して
悪人ではないと書きました。
法を犯してまで金儲けを
しているわけではないからです。
ここでスクルージの
社会に対する考え方を見てみます。

①他人のためには一切金を使わない。
 寄付も一切しない。
②税金を払っている以上、
 社会に対しての義務は
 完了していると考えている。
③他人のことに関しては
 どうなっても
 関係ないと考えている。

でも、ふと考えると、
これはスクルージ特有のものではなく、
私についても
当てはまるところがあります。

①については、職場に回ってきた
○い羽根募金に対して仕方なく
最低限度を寄付するだけでした。
②についても、弱者に対する支援は、
基本的には行政の役割だと
突き放して考えることが
たびたびあります。
③については決して
そうではないと思うのですが、
では他人のために何をしていると
詰め寄られると返答に窮します。

スクルージは、
確かに私の中にも存在しています。
そしておそらくは多くの人々の
心の中にも、そして社会全体にも、
形を変えて存在しているのではないかと
思うのです。

ディケンズが本作品を
世に送り出したのは1843年のことです。
当時の英国は産業革命を終え、
富が資本家に集まり、
市民が「持てる者」と「持たざる者」に
分離された時期にあたります。
世の中に「持てる者」つまりスクルージが
溢れ出していたのだと思います。

本作品は単なる
子ども向けの童話ではないのでしょう。
「持てる者」が「持たざる者」へと
富を再分配せよという
大人たちへのメッセージであり、
そのような世の中の危うさを警告した
社会批判の書と考えるべきなのです。

かつて一億総中流といわれた
私たちの国でも、
現在再び貧富の差が
顕著になり始めてきました。
今こそ大人たちが本書をもう一度
読み込む時期に来ているのかも
知れません。

さて、私の中のスクルージも、
少しずつ悔い改めさせなければ
なりません。
幽霊や精霊が現れる前に。

※本書を再購入し、読みました。
 あれ、学生時代に読んだものと
 違うような…。
 本書は2011年に
 村岡美枝・村岡恵理によって
 改訂された版でした。
 オリジナルの1952年版では
 なかったのです。
 もう一度古書をあたって
 オリジナルを読んでみたいと
 思います。

(2019.12.24)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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