北の方の美しさに魅せられた三人の男たち
「少将滋幹の母」(谷崎潤一郎)
新潮文庫

老齢の大納言・国経は、
その美しい妻・北の方を、
若き権力者で甥の左大臣・時平に
強奪される。
その直前まで北の方と
逢瀬を重ねていた平中は、
その想いを侍従の君に
向けようとする。
国経は失ったものの大きさに
うちひしがれ…。
美しい小説です。
源氏物語を生涯三度にわたって
現代語訳した谷崎ならではの
王朝絵巻です。
そして一連の母恋ものの
到達点ともいえる作品です。
さて本作品、主人公はもちろん表題通り
「滋幹の母」なる女性なのですが、
この女性・北の方について
「類い稀なる美女」であること以外
詳しい説明がなく、
さらには彼女の心情は
一切描かれていません。そのかわり
彼女の存在を際立たせるために、
彼女に関わる男性を
事細かく描いているのです。
一人は滋幹の父である藤原国経。
50歳年下の美女を
妻に娶ることのできた幸せと、
それに伴う不安(妻に対する
申し訳なさ、自らの甥のわびしさ)、
そしてその妻を奪われたあとの悲哀が、
痛いほど伝わってきます。
なぜ妻を貢ぎ物として
差し出さなければいけなかったか?
その心理の描写には
恐ろしいまでの説得力があります。
失った妻の面影を忘れ去るために
仏門に帰依し、
さらには不浄観による解脱を試みる
(野辺に葬られた屍を前に瞑想に
耽るなど常軌を逸した行動!)のですが、
その魂は救われることなく
悩み抜いた末に命を終えます。
限りなく哀れな存在として
描かれているのです。
一人は女性の情人である平中(平貞文)。
北の方と逢瀬を楽しんでいたのですが、
時平に奪われます。
彼は時平の口車に乗って
彼女の情報提供(平安の当時は、
女性の顔を見ることすら困難だった)を
したばかりに損な役回りを
演じることになるのです。
北の方を諦めるためにねらいを付けた
侍従の君に振られ続けることにより、
彼もまた悶死します。
「この物語はあの名高い色好みの
平中のことから始まる」という
冒頭の一文に代表されるように、
限りなく滑稽な存在として
描かれているのです。
そして一人は権力者・時平。
平中のように老翁の目を盗んで
密通するなどという
まどろっこしいことなどせず、
巧みに国経の口から
「お受け取りください」と言わせ、
衆人環視の中、
堂々と北の方を浚っていく豪放さ。
それは事前の
周到な計画の上でのことであり、
菅原道真への謀略と併せて
限りなく狡猾な存在として
描かれているのです。
北の方の美しさに魅せられた
三人の男たちの妄執と浅ましさを
徹底して描くことにより、
この「滋幹の母」なる女性の、
美の一面だけを
浮き彫りにしたかのような作品です。
味わいどころの数多い本作品、
今回はこのあたりにとどめておきます。
(2020.1.3)

【青空文庫】
「少将滋幹の母」(谷崎潤一郎)