「人と異なるもの」が現れるのはいつも「月の美しい晩」
「赤い蠟燭と人魚」
(小川未明)(絵:酒井駒子)偕成社

陸に産み落とされた
人魚の赤ん坊は、
通りかかった蝋燭売りの
老夫婦に拾われ、育てられる。
美しい娘に成長した人魚による
赤い絵の描かれた蝋燭は、
飛ぶように売れ、
山のお宮も賑わう。
ある日、その町に
香具師がやってきて…。
人魚の赤い蠟燭の、
山のお宮に奉納し終えた燃えさしは、
海難除けのお守りとして
大きな効果を発揮したのです。
ところが現れた香具師は、
老夫婦を金でたぶらかし、
人魚を買い取るのです。
人魚が最後につくった、
絵にならなかった赤い蠟燭は、
これまでとは逆に大きな禍をもたらし、
香具師の乗った船を沈めただけでなく、
町を滅ぼすという、
童話でありながら
恐ろしい幕切れを迎えます。

前回の「月夜とめがね」と同じ
小川未明の童話です。
「人と異なるもの」と「老人」の
交流を描いたものでありながら、
受ける印象は大きく違います。
両者を比較してみました。

面白いことに、
「人と異なるもの」と「老人」の出会いは、
どちらも「月の美しい晩」なのです。
「月夜とめがね」では、
めがね売り(おそらくは
妖精のようなもの)が現れたのは
「おだやかな、月のいい晩」、
その直後に少女(正体は胡蝶、
やはり妖精か?)が現れたときも
「穏やかな月夜の晩」と
表現されています。
一方、本作品において
老夫婦が人魚を拾ったのは
やはり「月のいい晩」であり、
人魚が売られていった後に
「禍をもたらす存在」(おそらく
人魚の母親)が現れたのは
「ほんとうに穏やかな晩」と
記されています。
異なるのはもちろん「老人」の対応と、
それによってもたらされる結末です。
本作品の老夫婦は金に踊らされた結果、
不幸に陥ることになるのです。
しかもその禍を招く赤い蝋燭は、
「どこからともなく、誰が、
お宮にあげるものか、
毎晩点」ったのです。
つまり「禍をもたらす存在」は、
人間たちに復讐していると
みていいでしょう。

香具師の乗った船を沈めた段階で、
娘の人魚を取り戻したはずです。
それに飽き足らず、
町を滅ぼすまでの復讐は
どう考えればいいものやら。
「人を越えた存在」に対する
畏れを失っては
いけないということでしょうか。
それとも「異なる存在」に対する
無理解は
破滅をもたらすということでしょうか。
折に触れて考えていきたいと思います。
なお、「月夜とめがね」同様、
本書もまた絵本でありながら
子ども向けではなく
大人向けと思われる一冊です。
(2020.1.13)
