長年連れ添っても価値観は同一であるとは限らない
「夫婦の一日」(遠藤周作)
(「夫婦の一日」)新潮文庫
「夫婦の一日」(遠藤周作)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
新潮文庫
「鳥取まで一緒に行って欲しい」。
妻にそう切り出された「私」。
わが家によくない事が
続いたため、心配になった妻は
ある占い師に
見てもらったのだという。
クリスチャンとしてそれを
信じるわけにはいかない「私」は
妻と諍いになる…。
諍いになりながらも、
結局は妻とともに
鳥取まで同行してしまう
夫「私」の姿が描かれています。
無宗教な人間、
あるいは葬祭だけ仏教徒になる
多くの日本人にとって
大したことではありませんが、
熱心なキリスト教信者にとっては、
占いを信じることは
棄教ともいえる行為なのです。
夫が怒るのもわかります。
実はこの奥さんも
洗礼を受けているのです。
しかし、
「あなたみたいに
カトリック以外の宗教を
無視する育ち方は
していないんです。
実家の父も母も
観音さまの信者だったから、
私も観音さまを
今でも拝む気持は捨てられません。」
この一言が
本作品における肝なのでしょう。
長年連れ添ってきても、
根っこの方にある価値観は
実は同一のものであるとは限らない。
それが真実なのでしょう。
敬虔なクリスチャンにとって、
かなり大きな衝撃であることが
推察されます。
妻も自分と同じキリストを
信じているものと思っていたのに、
キリスト教とは似た
別の何かを信じていたことが
明らかになったのですから。
このあたりは「沈黙」で描かれた
「日本人による変形された
基督教」と似ています。
でも、夫は渋々ながらも同行します。
そして雨に濡れながらも
慣れない手つきで砂丘に杭を打つ
妻の姿を見かね、
手を貸しさえするのです。
ここに長年連れ添った
夫婦の姿が描かれているのです。
本音で語り、本気で夫の身の上を案じ、
できることのすべてを
行動に移そうとする妻。
決定的な違いが
明らかになったにもかかわらず、
それを許容し、
それを乗り越えようとする夫。
すれ違いながらも、
これからの人生を、
これまでと同様に
ともに歩んでいこうとする二人。
何か神々しいものさえ
感じてしまいます。
巷の統計によると、
今や3組に1組は離婚しているという
日本の現状があります。
生い立ちも育ちも違う
他人同士の男女が
一緒に生活するのですから、
うまくいかないことなど
星の数ほどあるでしょう。
夫婦生活を営む上で大切なことは何か。
そんなことを
いろいろ考えさせてくれる、
遠藤周作の傑作短篇です。
※「日本文学100年の名作第7巻」
収録作品一覧
1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979|哭 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981|鮒 向田邦子
1982|蘭 竹西寛子
(2020.1.16)