「ピーター・パンとウェンディ」(バリー)②

私も「つまらない大人」になってしまった

「ピーター・パンとウェンディ」
(バリー/大久保寛訳)新潮文庫

ある夜、ウエンディ、
ジョン、マイケルの姉弟の部屋に、
突然ピーター・パンと
妖精ティンカー・ベルが現れる。
魔法の粉の力によって
飛ぶ力を得た三姉弟は、
ネバーランドへと飛び立つ。
そこには鉤の手を持つ
海賊フック船長がいて…。

再読し、
今月2日付で取り上げましたが、
初読は4年前です。
こんなに有名なのに、
それまで原作本を読んだことが
ありませんでした。というよりも、
書店で見かけるのは絵本か
子ども向け文庫シリーズのみでした。
2015年にようやく通常の文庫本で
出版されたのですから
出会えなかったのも当然です。

筋書きは知っての通り、
ピーターとフック船長の対決を軸に、
ウェンディ、ティンカー・ベル、
タイガー・リリーの三少女と
ピーターとの微妙な関係を絡め、
楽しさの中にも
甘い切なさのある物語となっています。

前回書きましたが、
この本を中学生に薦めたいと思います。
それでいながら、ほんの少しだけ
ためらいがあります。
残酷(と思われる)な場面が多いのです。
子どもたちは「殺してしまおう」と
あっさり口にします。
妖精にそそのかされた子どもたちは
ためらわずウェンディを
射貫いてしまいます。
終末では子どもたちは
海賊たちを次々に殺してしまいます。
児童文学としては
違和感を感じてしまいました。
もちろん、残酷に描かれているわけでは
ありません。
淡々と書かれてはいるのですが。

何ともいえない違和感を
感じてしまったのですが、以前読んだ
松岡享子著「子どもと本」(岩波新書)を
思いだし、その理由が
何となくわかってきました。

このピーター・パンの物語は
「児童文学」というカテゴリでくくっては
いけないのではないか、ということです。
つまり、これは「昔話」として読むべき
ものではないのかと思ったのです。

昔話には、それこそ残酷(と思われる)な
場面が多々登場します。
「ヘンゼルとグレーテル」では
魔女がかまどで焼かれてしまいます。
「白雪姫」ではお妃が真っ赤に焼いた
鉄の靴を履いて死ぬまで踊らされます。
しかし、それらの描写は、
実は残酷な表現を
何ひとつ含んでいません。
本作品も同じです。
海賊は子どもたちに刺されても
血しぶきを上げません。
フック船長はワニに食べられても
断末魔の叫びを上げません。
「残酷(と思われる)な場面」はあっても
「残酷な表現」ではないのです。

こんな素晴らしい作品に
違和感を感じるようでは、
私も「つまらない大人」になってしまった
ということなのでしょう。
反省しています。

まだ昔話を受け入れる純粋さを持った
中学校1年生と、
その純粋さをすでに失ってしまった
大人のあなたにお薦めします。

(2020.1.17)

Emily_WillsPhotographyによるPixabayからの画像

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