「美少女」(太宰治)

文豪・太宰の女性への観察眼

「美少女」(太宰治)
(「新樹の言葉」)新潮文庫

「美少女」(太宰治)
(「女体についての八篇 晩菊」)
 中公文庫

暑熱にやられた「私」と妻は、
近くの温泉へと湯治に出掛ける。
浴場には二組家族がいたが、
そのうちの一組は老夫婦と
十六、七の孫娘であった。
その少女が素晴らしいのである。
「私」はその少女を
まっすぐに見つめた…。

前回の田山花袋「少女病」に出会って
すぐ連想したのが、
同じ明治生まれの文豪・太宰治
本作品です。
田山が電車の中で美少女を
じろじろ眺めたのとは
比べものになりません。
温泉で裸の美少女を
「まっすぐ見た」のですから。
ここで注目すべきは、
文豪・太宰の描写力です。

老夫婦と孫娘の三人家族を、
「きたない貝殻に付着し、
 そのどすぐろい貝殻に守られている
 一粒の真珠である。」

なるほど、その通りに思えます。
老夫婦に対しては大変失礼ですが。

娘については、
「少女は、きつい顔をしていた。
 一重瞼の三白眼で、
 眼尻がきりっと上っている。
 鼻は尋常で、唇は少し厚く、
 笑うと上唇が
 きゅっとまくれあがる。
 野性のものの感じである。
 髪は、うしろにたばねて、
 毛は少いほうの様である。」

そして、
「決して痩せてはいない。
 清潔に皮膚が張り切っていて、
 女王のようである。
 素晴らしく大きい少女である。
 五尺二寸も
 あるのではないかと思われた。
 コーヒー茶碗一ぱいになるくらいの
 ゆたかな乳房、なめらかなおなか、
 ぴちっと固くしまった四肢、
 ちっとも恥じずに
 両手をぶらぶらさせて
 私の眼の前を通る。
 可愛いすきとおるほど
 白い小さい手であった。」

多分、太宰はそういう場面に
遭遇したのでしょう。
表現があまりにも具体的すぎます。

さらに面白いのは作品後半部分の、
散髪の場面です。
床屋の娘が
温泉で出会った少女であることに
「私」は気付きます。
「顔より乳房のほうを
 知っているので、
 失礼しました、と私は
 少女に挨拶したく思った。
 私はこの少女の素晴らしい肉体、
 隅の隅まで知ってる。
 そう思うと、うれしかった。
 少女を、
 肉親のようにさえ思われた。」

丁寧に観察したことで、彼女を十分に
理解できたということでしょうか。

そういえば、太宰には
「女生徒」「葉桜と魔笛」などに代表される
「女性一人称告白体」という
独特の作品形態があります。
なぜこんなにも
女性になりきった小説が書けたのかと
いつも驚いているのですが、
もしかしたらこうした女性への観察眼が
あってこそのものなのかも知れません。

上林暁「天草土産」でも
 混浴温泉が登場します。
 現代の感覚では驚きですが、
 戦前まではむしろそちらの方が
 一般的だったのです。

(2020.1.21)

【青空文庫】
「美少女」(太宰治)

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