描かれている「水」が夫婦の心の動きを表している
「春は馬車に乗って」(横光利一)
(「百年文庫069 水」)ポプラ社

肺病で臥せっている妻と
夫である「彼」の会話は
刺々しくなることが
多くなった。
彼女は病の焦燥から、
夫が文筆の仕事で
隣室へ離れることにも
難色を示すようになる。
やがて彼女は
咳の発作とともに暴れて
夫を困らせる…。
病床の夫婦の間柄が険悪になった後に
また穏やかになるというものであり、
一読しただけでは
理解が難しい作品です。
読書に不慣れな方であれば、
「だからどうした」と
本を投げ出してしまいかねません。
読みどころはいろいろあるのですが、
私は本アンソロジーのテーマである
「水」に注目すべきだと考えます。
本作品は5つの部分に分かれていますが、
それぞれの冒頭部分で「水」が描かれ、
それが夫婦間の
心の動きを示しているのです。
第一節冒頭では
次のように記されています。
「亀が泳ぐと、水面から
輝り返された明るい水影が、
乾いた石の上で揺れていた。」
水面は穏やかでありながらも
静かに揺れていることがうかがえます。
夫婦もそれと同様に、
お互いを労り合いながらも、
心は微妙なすれ違いを
見せているのです。
「あたし、
いま死んだってもういいわ。
だけども、あなたにもっと
恩を返してから死にたいの」
「どんなことをするんだね」
「あなたを大切にして、…」
「俺はそう云うことは、
どうだっていいんだ。
俺は、ただ、ドイツの
ミュンヘンあたりへ
いっぺん行って」。
続いて第二節です。
「潮風が水平線の上から
終日吹きつけて来て冬になった。」
最も長いこの節では、
夫婦の関係は嵐のようになっています。
夫が妻のために
鳥の臓物や新鮮な魚を買ってきても、
その思いが伝わりません。
収入を得るために
別室で書き物をしていても、
自分にかまってくれないと
お冠なのです。
「あなたは二十四時間
仕事のことより何も
考えない人なんですもの」
「お前の敵は俺の仕事だ。
しかし、お前の敵は、実は絶えず
お前を助けているんだよ」
「あたし、淋しいの」。
そして第三節です。
「もう彼は家の前に、
大きな海のひかえているのを
長い間忘れていた。」
助かる見込みのないことを告げられ、
夫の心は再び
妻への思いやりで満たされます。
妻も自らの命の長くないことを悟り、
その心は穏やかさを取り戻します。
「あたし、死ぬことなんか
一寸も恐かないわ」
「お前も、いつの間にか
豪くなったものだね」
第四節。
「彼女は絶えず、水平線を狙って
海面に突出している遠くの
光った岬ばかりを眺めていた。」
妻の視線はすでに
彼岸へと向けられているのです。
「あたしの骨はどこへ行くんでしょう」
最後の第五節です。
「家の中では、
山から運ばれて来る水甕の水が、
いつも静まった心のように
清らかに満ちていた。」
二人は静かに
死の準備を終えているのです。
「とうとう、春がやって来た」
「どこから来たの」
「この花は馬車に乗って、
海の岸を真っ先きに
春を撒き撒きやって来たのさ」
淡々とした会話を積み重ねるとともに、
周囲の水を中心とした
風景、生物、気象状況等を
表現の手段として最大限に用い、
死を迎えた妻と、
その妻を看取る夫の情愛と葛藤を、
読み手に余すところなく
伝えきっています。
これこそ短編小説。
忘れられつつある作家の、
渾身の一篇を味わってください。
(2020.1.26)

【青空文庫】
「春は馬車に乗って」(横光利一)