「百年文庫026 窓」

テーマは「窓」から覗き見た世界

「百年文庫026 窓」ポプラ社

「シラノ・ド・ベルジュラック
          遠藤周作」
フランスに留学した「私」は、
老学者ウイ先生に興味を覚え、
仏語と文学の
家庭教師をお願いする。
しかし「私」は
ウイ先生が口癖のように言う
「文学とはレトリックだ」
という教えに反発を覚える。
ある日、先生の留守中、
書棚から…。

「よその家のあかり ピランデルロ」
真っ暗で小さな貸し部屋に
暮らすブーティ。
職場では誰とも口を利かず、
社会から距離を置いて
生きてきた彼は、
部屋の小さな窓から
向かいの家の明かりが
差し込んでくることに気付く。
そこから見えたのは、
温かい一家団欒の姿…。

「訪問 ピランデルロ」
召使いが取り次いだのは、
昨晩「私」の夢の中に現れた
ヴァイル夫人。
彼女とは3年前の園遊会で
たった一度だけ出逢い、
「私」はその美しさに
惹かれていたのである。
しかし、彼女は…、
昨日亡くなっていた…。

「恢復期 神西清」
大いなる熱が私を解放した。
私は再び鎔和された人間だ。
いま霧のなかから
静かに私の前にたち現れるのは、
私の曾て知らなかった
新たな廻転をもつ世界である。
その世界にはまだ何一つとして
名のついている物はない。…。

百年文庫28冊目の読了です。
テーマは「窓」。
「窓」から覗き見た世界と
いうことでしょうか。

遠藤周作の「シラノ」は、
「私」の留学体験という「窓」から
フランス、そしてフランス文学を
見た作品ということができます。

ピランデルロの2作、
「よその家のあかり」は
「窓」から見た家庭の団欒に惹かれ、
さらには人妻に恋い焦がれた
男の話です。
終末を読むと
「となりの」ではなく
「よその」である理由が分かり、
切なくなります。
そして「訪問」での「窓」は
もしかしたら
「私」の憧れていたヴァイル夫人の
「胸の隙間」ということでしょうか。

神西清「恢復期」では、
闘病生活を送る少女の
「窓」から見る外の景色を
意味しているのでしょう。
いや、第二の人生へと
次第に目覚めていく
意識の「窓」から見た世界
(とりわけ父と百合さんの思い)と
解釈することもできます。

わかりやすいテーマでありながら、
作品そのものは4篇とも
わかりにくいものばかりでした。

「シラノ」はなぜ遠藤が
このようなフランス文学批判とも
受け取られかねない作品を書いたのか
理解に苦しみます。
「訪問」は幻想的すぎて
何を表しているのか
読み取りが難しい作品でした。
「恢復期」も格調高い日本語ですが、
言い回しがいささか難解です。

とはいえ、読み終えた後の
充足感もひときわでした。
実力派作家3名の作品を集めた「窓」。
読み応えがあります。

(2020.2.16)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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