「誕生日の子供たち」(カポーティ)

猛スピードで大人になりすぎた子ども

「誕生日の子供たち」
(カポーティ/楢崎寛訳)
(「集英社ギャラリー世界の文学17」)
 集英社

一年前、「僕」の町に
突然やってきた
少女・ミス・ボビット。
まだ10歳にもならない
女の子なのに、
化粧をし、大人のような
立ち居振る舞いをする。
彼女は瞬く間に
「僕」たちにとって
特別な存在となった。
しかし彼女は昨日の夕方…。

子どもの頃、「特別な存在の女の子」は
確かにいました。
おそらく誰しもそんな記憶が
あるのではないでしょうか。
でも、小説とはいえ、
ミス・ボビットは特別すぎます。

まず、その容姿は
「唇はオレンジ色の艶があったし、
 髪の毛は、
 舞台用のかつらのように、
 バラ色のカールが
 重なりあっていた。
 目は目で上手にアイラインを
 入れているみたいだった」

いでたちは
「糊のきいた、レモン色の
 パーティー・ドレスを着」
ている。
そして、
「痩せぎみな体に
 威厳を漂わせていて、
 レディーらしかったし、
 なにより、男のように、
 物おじせずに
 相手の目を見すえる」
のですから
たいしたものです。
片田舎の「僕」たちにとっては、
憧れを通り越して
畏怖さえ憶えるような、
強烈な存在感のある
スーパー少女だったのです。

スーパー少女ぶりは、
物語後半でさらに際立ちます。
彼女を含め、
町全体が陥れられた詐欺の首謀者を、
巧みなアイディアと
素早い行動力を持って、
追い詰めることに成功します。

美貌や大人っぽさだけではなく、
政治力やカリスマ性すら
感じさせる主人公。
10歳という年齢を考えると、
現実離れしていて
物語に入り込めない読み手も
出てくるはずです。

作者が描こうとしたのは
実は「スーパー少女」ではなく、
もしかしたら
「猛スピードで大人になりすぎた子ども」
なのかも知れません。
彼女の言動には子どもらしからぬ
スレた部分が多すぎます。
「悪魔を手なずけるのには、
 イエス様と同じくらい、
 愛さなければなりません。
 悪魔を信じていることがわかれば、
 いろいろ助けてくれますもの。」
「次善の状態が、
 多くの場合、じつは、
 一番良いのだと心得ていますの。」

すべてがうまくいっているように見えて
すべてが一瞬のうちに崩壊してしまう。
結末は冒頭の一文で
わかっていたはずなのに、
大きな喪失感に襲われたまま、
物語は終結します。
「夜の樹」同様、
後味の悪い思いをしながら、
なぜか惹かれてしまう作品です。

(2020.2.21)

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