少年の日の思い出をかくも美しく描出する
「乳の匂い」(加能作次郎)
(「世の中へ/乳の匂い」)
講談社文芸文庫

お信さんは
男と所帯を持つ許可を得るため、
養父に懇願するものの、
むなしく却下される。
お信さんの帰り道を
送っていった「私」は、
吹き上げた砂塵にやられ、
眼を開けられなくなる。
そのときお信さんが
「私」にしてくれたのは…。
「私」は両親を亡くし、
伯父を頼るものの、
丁稚として働かされている
13歳の少年です。
親の愛も十分に知らぬまま、
人生の荒波に投げ込まれたのですから
気の毒な境遇です。
「私」の苦労物語かと思って
読み進めましたが、
決してそうではありませんでした。
「私」とお信さんの、
出会いと別れの物語です。
そのお信さんは、
20歳前後の美しい女性で
乳飲み子がいます。
彼女は伯父の養子であり、
「私」とお信さんとは
義理の従弟ということになるのです。
さて、
冒頭で紹介した粗筋に話を戻します。
砂埃が目に入り、
どうにも目が開けられない「私」は、
近くに水もなく、
ハンカチに唾を付けて拭き取ろうにも
効き目がなく、途方に暮れていたのです。
そこでお信さんは何をしてくれたのか?
「私の膝の上に
跨るように乗りかかって、
無理に顔を仰向かせたかと思うと、
後はどんな工合にそうしたものか、
私は眼で見ることが
出来なかったが、
次の瞬間、あッと思う間もなく、
一種ほのかな女の肌の香と共に、
私は私の顔の上に
お信さんの柔かい乳房を感じ、
頻りに瞬きしている瞼の上に、
乳首の押当てられるのを知った。」
つまり、乳汁による洗眼なのです。
ここには「私」の二通りの感情が
見え隠れします。
ひとつはお信さんに
母親の愛情を重ね見る子どもの「私」。
13歳ならまだまだ
母親を必要とする年頃です。
両親を失った上に、
伯父にも伯母(伯父の妾)にも
愛されることのない「私」の
切ない心情が伝わってきます。
もう一つはお信さんに
淡い恋心を感じている思春期の「私」。
子どもがいるとはいえ、
美しい20前後の女性です。
13歳の「私」が
憧れないわけがありません。
お信さんは結婚し
上海へ渡ることを決めていました。
彼女を失うやるせなさが
描写されています。
日本近代文学史において、読み手に
これほど強烈な印象を与える場面は
決して多くはないはずです。
性的な卑しさを
微塵も感じさせることなく、
少年の日の思い出を
かくも美しく描出する。
加能作次郎の
最大の傑作にして最後の作品。
いかがでしょうか。
(2020.2.27)

【青空文庫】
「乳の匂い」(加能作次郎)