見えてくるものは異なります。
「堺事件」(森鴎外)
(「阿部一族・舞姫」)新潮文庫

「堺事件」(森鴎外)
(「森鴎外全集5」)ちくま文庫

堺事件で発砲を認めた
藩士たちは、打首を不服として
異議を申し立てる。
兵卒が隊長の命によって
動くことには理も非理もない、
自分たちの挙動には
功はあっても罪はないと
いうのである。
藩士たちの言い分に、
重役は言葉を失う…。
前回本作品を取り上げ、
上層部の判断が迷走しているのに対し、
藩士の言い分は常に一貫していると
書きました。
初読以来、ずっとそう感じてきました。
最近再読し、
これまでとは異なる感想を持ちました。
外交問題とは単純に
筋道を通せば解決するような
生やさしいものではないからです。
現在でも日本は
外国との紛争解決に苦慮しています。
隣国韓国とは
長年の懸案が横たわっています。
また、韓国・中国・ロシアとは
領土問題も未解決のままです。
同盟国アメリカさえ、
油断のならない関係なのです。
日本の立場について
誠意を尽くして話そうが、
筋や道理を通そうが、
相手を納得させるのは
容易ではありません。
ましてやそれまで二百数余年に渡って
鎖国政策を継続し、
外交を経験してこなかった
明治黎明期の日本の政治機構が、
大変な苦労をしながら
諸外国と接していたことは
想像に難くありません。
日本は堺事件の数年前、
薩長戦争で国際関係の難しさを
痛いほど経験しているのです。
軍事衝突を避けながら
紛争を処理するためには
道理も筋もかまっていられないのです。
上層部の判断の揺らぎを、
「迷走」ではなく、臨機応変な
外交上の紛争処理と考えたとき、
見えてくるものは異なります。
本作品は、
近代人の集団としての明治政府と、
筋を通し体面にこだわる
旧時代の武士たちの葛藤と
考えることができるのです。
藩士たちが衝撃的な切腹を続けた後、
フランス公使たちは
その惨状を見るに堪えかね、
妙国寺を後にします。
筋書きからすれば、
この日本男児の強靱な精神が
外交問題を解決したと
受け止めることが可能です。
しかし、この場面こそ、
鴎外が脚色した部分なのです。
実際には当初から
フランス軍海兵の犠牲者と同じ
11人の処刑を持って
手打ちにすることになっていたと
いうことがわかっています。
筋を通して切腹した
藩士たちも日本人なら、
筋を曲げて紛争処理を優先させた
行政府もまた日本人なのです。
「日本人とはなにか」という
鴎外の問いかけは、
本作品発表の1914年以来、
百年が過ぎても未だ明確な解答を
持ち合わせていないのかも知れません。
(2020.3.11)

【青空文庫】
「堺事件」(森鴎外)