「一房の葡萄」(有島武郎)

神のように優しい先生

「一房の葡萄」(有島武郎)
(「日本児童文学名作集(下)」)
 岩波文庫

「一房の葡萄」(有島武郎)
(「一房の葡萄」)角川文庫

級友の所有する絵の具の
美しさに惹かれた「僕」は、
その中の二色を盗んでしまう。
それを知った西洋人の女教師は、
「あなたは自分のしたことを
いやなことだったと
思っていますか」と
たずねただけで、
「僕」を叱ろうとはしなかった…。

そしてその後どうしたか?
彼女は窓外の葡萄蔓から
一房の葡萄をもぎとり、
「僕」の膝の上にのせたのです。
つまり、「僕」を「赦し」たのです。

「赦す」ということは、
簡単そうでなかなか難しい指導です。
もし、現代の中学校で
このような状況下で盗難があった場合、
どうなるのか。
想定されるのは以下の通りです。
①盗まれた生徒、盗んだ生徒、
 双方から十分話を聞く。
②盗んだ生徒に対し、その行為が
 許されないものであることを
 指導する。
③盗まれた生徒、
 および周囲の生徒に、
 本人が十分に反省していることを
 説明し、これまでと同様、
 仲良く接することを促す。
④指導の経過を盗んだ生徒、
 盗まれた生徒、双方の保護者に
 連絡し、説明する。

ここで女教師が行ったのは、
おそらく③のみだと思うのです。
作品中には一切書かれていませんが、
「僕」を教官室に残し、
「静かに部屋を出て行」ったあと、
彼女はそうした指導を
学級で行ったことが推察できます。
翌日、登校を渋っていた「僕」が
校門をくぐったとき、
真っ先に駆けつけてきてくれたのは
絵の具を盗まれた生徒(ジム)であり、
教師はジムにこう語りかけています。
「ジム、あなたはいい子、
 よく私の言ったことが
 わかってくれましたね。」

女教師の指導が
③だけであったとしても、
被害者であるジムや周囲の生徒が
心の底から納得して「僕」を
「赦す」気持ちになるまで、
極めて丁寧な指導を短時間の中で
行っていたと考えられるのです。
①~④の一連の指導を行うより
数倍難しい指導だったと思われます。
教育の本質が
そこにあるように感じました。

ただしここで考えるべきは、
それが成り立った背景です。
「僕」が通うのは
横浜の山の手・西洋人町にあり、
西洋人の集まる学校であり、
教師はすべて西洋人なのです。
つまり、日本国内でありながら
日本社会ではないのです。

作品中二度までも登場する
「葡萄」が暗示しているように、
根底にあるのはキリスト教の思想です
(私は詳しくありませんが、
キリスト教では、葡萄酒は
キリストの血を指すものだそうです)。
自身キリスト教に帰依した
有島武郎ならではの作品といえます。

などと難しいことはあまり考えず、
神のように優しい先生の
慈愛に満ちた姿に、素直に感動するのが
本作品の正しい読み方かもしれません。

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(2020.3.13)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「一房の葡萄」(有島武郎)

※有島作品の記事です。

※有島武郎の本はいかがですか。

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