「棒」(安部公房)

棒にならないようにしなくては

「棒」(安部公房)
(「R62号の発明・鉛の卵」)新潮文庫

「R62号の発明・鉛の卵」新潮文庫

デパートの屋上から
墜落した「私」は
一本の「棒」になっていた。
通りかかかった教師と
二人の学生が、
その「棒」について語り始める。
学生二人は、
その「棒」を分析した所感を述べ、
そして教師は、
その「棒」に与えるべき
刑罰について…。

安部公房は自身の主張を、
決して直接的には表現しません。
人間や社会の暗部を
他のものに置き換え、暗喩として
提示することがほとんどです。
では、
本作品の「棒」は何を表しているのか?

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学生の一人は「棒」を見て、
「一定の目的のために、
 人に使われていた」
「かなりらんぼうな
 あつかいを受けていた」
「捨てられずに使いつづけられた」

読み取っています。つまり、
単純労働で摩耗していった人間の姿が
連想されます。

もう一人は
「ぜんぜん無能だったのだろう」
判断します。そして
「この棒で先生がぼくを
 打つこともできれば、
 ぼくが先生を打つこともできる」

続けます。
ここからは、何の考えも持たずに
道具となっている人間は、
人を襲う武器にもなり得る危険性を
持っていることが示唆されています。

それに対し、教師が見解を述べます。
「この男は棒だったということ」
そして
「量的な意味よりも、
 むしろ質的な意味で」

つまり、この男は平凡な男であり、
そうした人間はありふれていると
いうことなのでしょう。

「地上の法廷は、人類の
 何パーセントかを裁けばいい。
 しかし、われわれは、
 すべてを裁かなければならない。
 人間の数にくらべて、
 われわれの数はきわめて少ない。
 さいわい、裁かぬことによって
 裁いたことになる、
 好都合な連中がいてくれる」

そうなのです。
教師と学生は神様なのです。
そして神様たちは
「棒」を放置することがそのまま
罰になると話しているのです。
「考えることもせずに
盲従している人間には、
そのまま罰が下される」と
読むことが可能なのです。

さて、私たちの身のまわりに
視線を向けたとき、
「考えなければならないこと」が
数多く存在しています。
特にここ数年間の政権の動きには
それが顕著です。
例えば「集団的自衛権の
行使容認の閣議決定」、
例えば「原子力の
ベースロード発電としての位置付け」…。
それがどのような意味を持つか
自ら考えない人間は、そのままそれが
罰(戦渦、放射能事故)として
与えられる。などと考えるのは、
いささかうがった見方でしょうか。
「棒」になっている場合ではありません。

(2020.3.17)

raedonによるPixabayからの画像

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