
多層的なメタファーとしての作品構造
「赤き死の仮面」(ポー/渡辺温訳)
(「ポー傑作集」)中公文庫
「赤き死の仮面」(ポー/巽孝之訳)
(「黒猫・アッシャー家の崩壊」)
新潮文庫
かの「赤き死」は永い事、
国中を貪り食つた。
これほど決定的に死ぬ、
これほど忌はしい流行病が
またとあつたらうか。
血の赤さと恐怖――血こそ
この疫の化身であり
その印鑑であつた。
先づ鋭い苦痛がして
引続いて急激な眩暈を感じ…。
全世界で新型コロナウイルスが
蔓延している中で
本作品を取り上げるのは
ためらいがあるのですが、
前回取り上げたポーの作品の中で、
私が最も恐怖を感じたのが本作品です。
「仮面者」の突然の登場とともに、
城内のすべての人間が
死に絶えていくのです。
〔主要登場人物〕 ()は巽訳
プロスペロ公(プロスペロー王)
…赤死病が蔓延しつつあった国の領主。
領民千人とともに場内に引きこもる。
「仮面者」
…プロスペロ公の城内に忍び込んでいた
謎の闖入者。その正体は…。
本作品の味わいどころ①
心理的パンデミック小説
この赤死病はもちろん、
黒死病(=ペスト)をもとにした
架空の死病です。
発症してからわずか一時間程度で
全身から血を吹いて死ぬというのは
かなり凶暴なウイルスです。
本作品は、
この架空の凶悪ウイルスを素材とした
パンデミック小説と
みることができます。
パンデミック小説は、
本作品(1842年)以前にも、
古くはボッカッチョが
「デカメロン」(1353年頃)を
発表しています。
こちらは疫病そのものよりも
パンデミック下の人間の営みと
語りの力を描いた作品ですが、
ペストそのものを扱ったものとしては、
デフォーの「ペストの時代」(1722年)、
プーシキンによる
「ペスト蔓延下の宴」(1830年)
などもあります。
特に「ペスト蔓延下の宴」は、
そのシチュエーションが
本作品と通じるものがあり、
本作品に直接影響を与えた戯曲として
知られています。
なお、シェイクスピアの
「テンペスト」(1611年頃)にも
「赤い疫病」という表現が登場しており、
本作品に
影響を与えた可能性があります。
本作品がこうした
ペスト先行作品と比べて
大きく異なるのは、
疫病そのものよりも
パンデミック下における人間の心理に
焦点を当てて
描いているところなのです。
堅牢な場内に
感染していない領民を隔離し、
高い城壁と閉ざされた城門によって
完璧に外界と隔離した世界で生活すれば
赤死病など恐れるに足りない。
そうした発想は、コロナ禍での
各国の鎖国的対応とまったく同一です
(それが握手だとは言わないが)。
まるでコロナ禍の世界を
予見したかのような
描写となっているのです。
目に見えないウイルスの恐怖に対して、
人間のとる対応などこの程度のものだと
泉下でポーは
あざ笑っているのかもしれません。
この、心理的パンデミック小説としての
一面こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
万人に平等に訪れる「死」
本作品の赤死病は、何かの
メタファーとして描かれています。
考えられるものとしては「死」でしょう。
どれほど堅牢に閉鎖された城に
閉じこもったとしても、
死はすべての人間に訪れます。
恐怖から逃れるために
宴に酔いしれようとも、
死は必ず忍び寄ってくるのです。
領主プロスペロ公の
名声も財力も権力も、
死から逃れる手段たり得ないのです。
城内に侵入した
仮面の男がもたらした災いは、
万人に平等に訪れる「死」を
象徴しているに違いありません。
この、メタファーとしての
赤死病の描かれ方こそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
赤き死の仮面の表すもの
それだけでなく本作品には、
こうしたメタファーが
いたるところに仕組まれているのです。
厳重に封鎖された城内は、
人間の持つ恐怖心の象徴と
考えることができます。
外界の苦しみを無視し、
享楽にふけることで
現実から目を背けた貴族たちは、
人間の傲慢さそのものといえます。
そしてそれらを死に追いやった
「赤き死」は、人間の傲慢さに対する
神の罰と見ることもできます。
秩序ある城内生活が、
「仮面者」の登場によって混乱し、
最終的に全員が死に至る様相は、
疫病が社会秩序を崩壊させる
力を持っていることを
寓話的に示しているとも
考えられるのです。
「死の不可避性」
「恐怖に怯える人間の卑小さ」
「富を持った人間の傲慢さ」
「人間社会の秩序のもろさ」など、
多層的なメタファーとしての
作品構造こそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
学生時代に読んだときには
超一級のホラー小説に思え、
一人の夜に思い出せば
身体に震えがくるほどでした。
しかしそのような
単純な作品ではありません。
しっかり隔離したはずなのに、
どこからか入り込んで、
やがて死を迎える。
これはウイルスに限らず
放射能汚染も当てはまります。
国の指導者が
「アンダー・コントロール」と発信し、
みんなが「これで大丈夫」と思い込み、
気が付いたらそれは
すぐ身近なところまで忍び込んでいた、
ということに
ならなければいいのですが…。
いや、そんな不吉なことは考えないで、
ポーの小説の怖さを堪能しましょう。
明るさなど微塵も存在しない
短篇作品ですが、ぜひご賞味ください。
(2020.3.22)
〔「ポー傑作集」中公文庫〕
黄金虫 渡辺温 訳
モルグ街の殺人 渡辺温 訳
マリイ・ロオジェ事件の謎 渡辺温 訳
窃まれた手紙 渡辺啓助 訳
メヱルストロウム 渡辺啓助 訳
壜の中に見出された手記 渡辺温 訳
長方形の箱 渡辺温 訳
早過ぎた埋葬 渡辺啓助 訳
陥穽と振子 渡辺啓助 訳
赤き死の仮面 渡辺温 訳
黒猫譚 渡辺啓助 訳
跛蛙 渡辺啓助 訳
物言ふ心臓 渡辺温 訳
アッシャア館の崩壊 渡辺啓助 訳
ウィリアム・ウィルスン 渡辺温 訳
渡辺温 江戸川乱歩 著
春寒 谷崎潤一郎 著
温と啓助と鴉 渡辺東 著
解説 浜田雄介
※中公文庫からは以下の2冊も
刊行されています。
〔「黒猫・アッシャー家の崩壊」〕
黒猫
赤き死の仮面
ライジーア
落とし穴と振り子
ウィリアム・ウィルソン
アッシャー家の崩壊
※新潮文庫からは以下の2冊も
刊行されています。
〔たくさんあるポーの文庫本〕

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