「聖少女」(倉橋由美子)

全てはフェイクなのです。

「聖少女」(倉橋由美子)新潮文庫

「聖少女」新潮文庫

交通事故で記憶を失った
婚約者・未紀から
「ぼく」が受け取ったノートには、
驚愕の内容が書き込まれていた。
未紀は「パパ」なる人物と
関係を重ねていた。
それは愛人のことなのか、
それとも未紀の血のつながった
父親のことなのか…。

未紀のノートが主たる要素を占める
「Ⅰ」の部分では、
未紀=「あたし」と「パパ」の、
常軌を逸した妖しい関係
(つまりは近親相姦)が、
これでもかと綴られます。
加えて、女友達Mとの関係も
同様に妖しく(つまりはレズビアン)
記されていきます。
これは本当に起きた事実なのか?
それとも戯れに書いた創作?
読み手もまた、「ぼく」と同様、
幻惑されていくのです。

その謎を解き、
未紀の記憶を取り戻そうと、
「ぼく」奔走するのですが、
それだけならよくあるミステリーか
サスペンス小説で終わります。
続く「Ⅱ」では、
その「ぼく」もまた爛れた生活を
送っていたことが明らかになります。
「ぼく」は未紀と出会った当時、
姉であるLと体を重ねているのです。

ここまで読むと、
倒錯した愛を描いた官能小説かと
思ってしまうかも知れません。
しかし最後の「Ⅲ」を読むと、
それまで読み手が描いていた世界は
崩壊します。
「娘と父の近親相姦」を描いて
「愛」とは何かを浮き彫りにしようと
しているのだろうという
読み手の予想を全て覆し、
未紀の情念も、「ぼく」の心情も、
全ては暗闇の中に
埋もれてしまうのです。

まともな純文学を読み込むのと
同じ手法で本作品に臨むと、
火傷をしてしまいます。
「Ⅰ」で提示された謎を解く視点で
読み手を「ぼく」に
同化させたかと思えば、
「Ⅱ」であっさりとそれを否定します。
「Ⅱ」で官能の色合いを
匂わせたかと思えば、
「Ⅲ」でそれをはねのけます。
本作品は、読み手の感情移入を
ことごとく拒絶するのです。

全てはフェイクなのです。いや、
事実に見せかけたフェイクであり、
フェイクに見せかけた
「別の何か」なのです。
未紀と「パパ」の関係も、
未紀とMの関係も、
「ぼく」とLの関係も、
未紀と「ぼく」の関係も、
そうなのです。
そして本作品自体がそうであり、
虚実入り乱れたモザイク状の
構造物となっているのです。

こんな前衛的・革新的・実験的・観念的な
小説が存在していたとは。
しかも半世紀も前に。
これまで倉橋由美子という
退廃的な匂いのする作家を
避けてきましたが、間違いでした。
倉橋由美子を知らずして
日本文学を語ることは
できないのではないかという
気持ちになっています。

(2020.3.24)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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