
ささやかな何かの始まりと大きな何かの終焉
「冬の日」(永井龍男)
(「青梅雨」)新潮文庫
(「一個/秋その他」)講談社文芸文庫
(「百年文庫030 影」)ポプラ社
年末の二十九日に、
住み慣れた古い小さな家の
畳を張り替えた登利。
二歳になる孫娘は
娘婿・佐伯とともに
郷里へ帰っていた。
その日、佐伯の同僚・進藤が
登利のもとを訪れる。
登利は進藤に、
ある重大な決意を
告げようとしていた…。
読んでいて切なくなる物語でした。
永井龍男の「冬の日」です。
具体的な事実を明確に記さず、
断片を提示しながら
読み手に伝えていく手法が、
その切なさを一層際立たせます。
〔主要登場人物〕
登利
…長く住み慣れた家を明け渡す
準備をする。四十四歳。
佐伯
…登利の娘婿。娘の産まれた一ヶ月後に
妻を亡くしている。三十二歳。
進藤
…佐伯と同僚の大学教員。
佐伯の先輩にあたる。
登利を訪問し、真意を確かめる。
「進藤・佐伯の同僚」
…進藤の後輩、佐伯の二つ上の
先輩にあたる大学教員。
本作品の味わいどころ①
決意とともにある深い悲しみ
登利の決意というのは、自宅を
孫娘、娘婿、そして
その新しい再婚相手に譲り、
自分は大阪にいる親戚のもとに
身を委ねる、というものです。
登利の娘は佐伯と結婚したものの、
子を産んでわずか二ヶ月で
この世を去りました。
それからの二年間、
登利が佐伯と孫娘を家に住まわせ、
その面倒を見てきたのです。
なぜその決意が重大なのか。
愛した孫娘との別れとなるからです。
女手一つで戦後を乗り越え
育て上げた一人娘。
その愛娘の残した一粒種の孫娘。
そんな孫娘と二度と会えなくなるのは、
登利にとって、身を切られるより
辛いものであるはずです。
この、登利の決意とともにある
深い悲しみこそ、本作品の
第一の味わいどころとなるのです。
じっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
決意の背景にあるものは何か
ではなぜ孫娘と二度と会えない、
いや、会わないと決意したのか。
この部分が本作品の最も重要な
シチュエーションとなります。
ところが、作者・永井は
それをあえて明確にせず、
会話の中にいくつかの鍵をひそませ、
読み手に察してもらうという
手法を講じているのです。
「みんなの仕合わせというものは、
そういうものだということが、
あたくしのような
心の醜い者にも…」
「双方、無理もなかった。
しかし、淋しいのはあなただ。
よくお孫さんと
別れる決心がつきましたね。」
「一度、決心いたしましてからは…」
「それに触れるのは傍観者の
いらざるおせっかいですね」
このやりとりに前後して、
進藤が登利と佐伯の
事情を知っていること、
進藤が佐伯の再婚を
不人情であると感じていたことなどが、
登利と進藤の会話に
ちりばめられているのです。
ここから推察できることは、
一つだけでしょう。
登利が孫娘と娘婿を
家に引き取ったとき、
登利四十二歳、佐伯三十歳。
共通する愛する者を失った
淋しさを思えば、
そうした状況に陥るのも
無理からぬことと思われます。
この、登利の重大な決意の
背景にあるものを読み取ることこそ、
本作品の大きな
味わいどころの一つなのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
描かれているのは鮮烈な情感
愛する人間二人との、
おそらくは永遠の別れ。
それがみんなの仕合わせを願っての、
登利の決意なのです。
再婚する女性を含めた家族三人へ、
新しい畳に張り替えた家を明け渡す。
その鮮烈な情感に、
胸が締め付けられるような
思いを感じます。
この、全篇にわたって
間接的ではありながら、
読み手の心に鋭く突き刺さってくる
鮮烈な情感こそ、
本作品の肝であるとともに、最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
物語の最後の情景として描かれるのは、
元日の大きな夕焼けです。
ささやかな何かの始まりと、
大きな何かの終焉。
それはまさに
登利の心の情景なのでしょう。
一場面だけ切り取られて提示された
長大な物語、そのすべてを読み取る。
短篇作品の醍醐味を
存分に味わえる逸品です。
味わいの分かる、
大人のあなたにお薦めします。
(2020.3.26)
〔関連記事:永井龍男の作品〕
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「朝霧」
「胡桃割り」①
「胡桃割り」②
「黒い御飯」
〔「青梅雨」新潮文庫〕
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