一つ一つ丁寧に「折り合いをつけていく」
「春のオルガン」(湯本香樹実)
新潮文庫

小学校を卒業した春休み、
「私」は頭痛に悩まされる。
家に帰らない父親、
苛々する母親、
傲慢な隣家のおじいさん。
大人たちのトラブルに
気持ちの落ち着かない「私」は、
弟・テツとともに、
河原に棄てられたバスの中で
一夜を過ごす…。
必ず天候不順な時期があり、
場合によっては嵐がやってくる。
本作品で描かれている「春」は、
ぽかぽか陽気な春が訪れる前の、
そんな少し憂鬱な「春」なのです。
中学生になろうとしている「私」もまた
そのような時期でした。
「私」は自分に自信が持てず、
説明できない不安に
押しつぶされています。
そしてそうした自分を
受け入れられないでいるのです。
「私」は自分自身だけでなく、
周囲の大人たちの存在もまた同様に
受け入れることが
できないでいるのです。
家に帰らない父親、
苛々する母親、
傲慢な隣家のおじいさん、
そしてすれ違いざまに
胸を触っていった見ず知らずの男。
それらを「私」は
理解できずに苦しむのです。
しかし、そんな「私」の気持ちを
静かに落ち着かせていくのも
また大人でした。
壊れたものをどこまでも修理して
使い続けようとするおじいさん。
捨てられた猫たちに
えさをあげ続けるおばさん。
そして仲違いしているように見えた
父親のアパートで、
幸せそうに居眠りしている母親。
世の中には
理解できないこともあります。
理不尽なこともあります。
やりきれなくなることも
やはりあるのです。
しかし、それらを拒否するのでもなく、
放置するのでもなく、
一つ一つ丁寧に
「折り合いをつけていく」、
それが大人だと思うのです。
「私」は無意識のうちに
それに気づいていきます。
そして次第に大人たちを、
そして自分自身を
受け入れられるようになるのです。
物語の終末。
テツが家に連れてきた病気の猫は、
治療の甲斐あって健康を取り戻し、
「私」の家の飼い猫となります。
一方、おじいさんが
修理していたオルガンは、
結局は直らず、再び音を
奏でることはありませんでした。
しかし無造作に廃棄されるのではなく、
丁寧に分解されて
回収されていきました。
「私」はそのどちらをも
受け入れているのです。
それは「私」が大人の世界に
一歩踏み出したことを意味しています。
私の身のまわりの
中学生を見回したとき、
自覚のないまま自然と大人に
なってしまう子どももいる一方で、
子どもの世界と大人のそれとに
整合性を見いだせず、
立ち止まってしまう子どもも
やはりいるのです。
「私」は中学生としてのスタートを
やや遅らせてしまったのですが、
それは「私」にとって
貴重な時間だったはずです。
大人と子どもの狭間にいる
中学生に薦めたい一冊です。
(2020.4.2)

