紫式部が「花散里」に与えた役割
「源氏物語 花散里」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館
源氏は昔通った女に
和歌を贈るが、「人違いでは」と
すげなくあしらわれる。
振られた源氏の心は、
花散里によって癒やされる。
久しぶりの源氏の来訪を
彼女は快く迎え入れる。
橘の香る中、源氏は一時、
世の中の厭わしさを忘れる…。
源氏物語の中で最も短い帖である
第11帖「花散里」
(小学館版の本書でわずか三頁)。
ここで描かれているのは
源氏が訪れた二人の女性との
やりとりだけなのです。
一人は「ただ一目見たまひし宿」の女性、
つまり
「昔ただ一度だけ関係した」女性です。
こちらは和歌を贈ったものの、
「人違いでしょう」と
軽くあしらわれるのです。
もう一人もまた同じように
源氏が久しぶりに思い出した相手・
花散里なのです。
花散里は源氏を温かく迎え入れます。
この二つをわざわざ並べた理由は、
作者・紫式部が、源氏の性格を
しっかりと書き表しておきたかった
からということでしょう。
源氏は一度関係した女性を
忘れることはないのです。
しかし、
まったく忘れ去ることがない代わりに、
すべての女性のもとを
熱心に通い続けるわけでもないのです。
だからこそ六条御息所の嫉妬を招き、
葵の上の死をもたらしたのです。
したがって本帖は、
前二帖「葵」「賢木」の補完的な役割を
担っていると考えることができます。
さらに、「葵」では
「車争い事件」「生き霊と葵の上の出産」
「源氏と若紫の結婚」、
続く「賢木」では
「御息所との別離」「桐壺院崩御」
「左大臣の政界引退」「藤壺の出家」と、
重大な事件の連続であり、
源氏物語の
一つの頂点を成していました。
紫式部は、この帖で読み手の緊張を
一度、解そうと考えたのではないかと
思われます。
そもそもこの花散里なる女性も、
作者からそのような役割を
与えられていたと推察できます。
容貌や年齢については
まったく記されていませんが、
物思いに耽っている様子、
つまり口数が多くなく、
穏やかな人柄であることが
僅かに書かれてあるだけなのです。
久しぶりに尋ねてきた源氏に
恨み辛みなど決して口にすることなく、
大きな包容力で優しく包み込んでいく。
そんな女性像が浮かんできます
(このあとの帖でも、
こうした役割で再登場します)。
「花散里」は筋書きの上で
読み手に束の間の安らぎを感じさせ、
登場人物としては
浮き世疲れしている源氏にとって
一服の清涼剤として作用する。
紫式部が周到に積み上げた構成であり、
短いながらもその存在感が
光り輝く帖となっています。
そして物語は
激動の「須磨」へと連続していきます。
〔前帖〕
〔次帖〕
(2020.4.4)
【源氏物語】
01 桐壺
02 帚木
03 空蝉
04 夕顔
05 若紫
06 末摘花
07 紅葉賀
08 花宴
09 葵
10 賢木
11 花散里
12 須磨
13 明石
14 澪標
15 蓬生
16 関屋
17 絵合
18 松風
19 薄雲
20 朝顔
21 少女
22 玉鬘
23 初音
24 胡蝶
25 蛍
26 常夏
27 篝火
28 野分
29 行幸
30 藤袴
31 真木柱
32 梅枝
33 藤裏葉
34 若菜上
35 若菜下
36 柏木
37 横笛
38 鈴虫
39 夕霧
40 御法
41 幻
00 雲隠
42 匂兵部卿
43 紅梅
44 竹河
45 橋姫
46 椎本
47 総角
48 早蕨
49 宿木
50 東屋
51 浮舟
52 蜻蛉
53 手習
54 夢浮橋
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