ふしあわせな環境におかれたとき我慢する能力
「濃紺」(幸田文)
(「台所のおと」)講談社文庫

孫たちと遊んでいたきよは、
仕舞ったままにしていた
濃紺の鼻緒の下駄を思い出す。
繁柾という木目の細かい
高級な下駄であったが、
大きなくせのある一品だった。
そしてそれは、
彼女がまだ若い娘時分に、
下駄屋に勤める青年から
もらったものだった…。
きよの家は貧乏であり、
安物の下駄しか買えませんでした。
下駄屋の青年は、
まだ下働きの身であるものの、
客の鼻緒のしめ工合を
一度の接客で覚えてしまうような
腕の良さを持ち合わせていました。
ある日、きよはその下駄屋の店頭に、
繁柾の見事な下駄を見つけます。
買える当てはありません。
ところがその晩、
青年は下駄を持ってきよを訪ねます。
きよに履いてほしいという下駄、
繁柾なのですが、
歯のあたりにくせのある、
本来は商品にできないような素材から
工夫して創り出された
下駄だったのです。
「くせのある木のいとしさ、
くせのある材に
多分並ならぬ手間をかけたであろう
その人の哀しさ、
そしてまたくせを贈られた自分。
三者ともに通じるのは、
ふしあわせな環境におかれたとき
我慢する能力がある、
という点だった。」
青年の気持ちは書かれていません。
しかし、彼は明らかに、
きよに恋心を抱いているはずです。
そうでなければ
そんな贈り物などしないであろうし、
「いつもの無口に似ず一気に話し、
はっとして自分の気負いかたに
気付いてあわて」たくらいですから、
冷静ではいられなかったのです。
青年は、明日は東京を離れ、
故郷へ帰るというのです。
つまりこれが二人の別れになります。
きよの気持ちも書かれていません。
でもやはり、
彼を愛しく思う気持ちがあるのです。
二度ほど歯つぎをした後、
「このつぎはもう歯つぎはできない。
こんどはきへらせば、
もう別れであり、
きよはそれをいとおしんだ。
そこはかとない執着が、
あのひとと下駄とを
結んで漂っていた。」
これもまったくふれられていませんが、
孫がいるくらいです、
きよは他の男性と結婚したのでしょう。
それでもまだ心の奥底に、
埋み火のように静かに燃え続ける
思いがあったのでしょう。
きよはその
仕舞ってあった下駄を取り出します。
「下駄は
三十年のきよの心にこたえて、
見勝りする姿である。」
心の温まる逸品です。
(2020.4.21)
