「アダムとイヴの日記」(トウェイン)

すれ違いを乗り越え、分かちがたく結ばれた二人

「アダムとイヴの日記」
(トウェイン/大久保博訳)河出文庫

長い髪をした
この新しい生きものは、
まったく邪魔だ。
自分だけで静かに小屋の中で
過ごそうとしていたのに、
あいつが入ってきたのだ。
あいつはしょっちゅう
ペチャクチャしゃべり、
ものに名前を付けたがる。
あいつの名はイヴ…。

人類最初の男女・
アダムとイヴの物語です。
といっても作者はあの
マーク・トウェイン。
一筋縄でいくはずがありません。
二人が出会い、
そして愛を育むまでが、
ユーモアに富んだ視点で
描かれています。

読みどころは、
男女における感覚の相違、
もっと言えば
アダムとイヴの「すれ違い」です。

二人が出会った頃、
アダムはイヴを口数の多い
うるさい女と捉えています。
理解不能な厄介者、
自分の自由を束縛する存在にしか
見えていないのです。
一方、イヴは、
アダムは恥ずかしがり屋で無能なため、
自分がいろいろ話しかけてあげなければ
ならないのだと思い込んでいます。
そしてアダムの自尊心を
傷つけないように、
さりげなく知恵を授けるのが
自分の役割だと認識しているのです。
男は女を一段低いものと見なし、
女は男をそれと気づかないように
立たせてあげる。
男女の感覚は、その創世記において
すでに大きくすれ違うとともに
絶妙に噛み合っていたのです。

それは本書に添えられている
挿絵にも反映されています。

アダムの部分の挿絵は、
石版に掘られた
古代の図絵風のイラストです。
男性の単純さ、無能さを
表しているように見えます。
そして二人は結局、顔だけが描かれ、
裸体は登場しません。
性欲を奥に隠し、うわべを上品に
取り繕っているようにも感じられます。
一方、イヴの部分は美しい挿画であり、
全身がしっかりと描かれています。
ありのままに世界を捉えようとする
女性的視点の表れのように感じました。

本書は実は、
「アダムの日記」と「イヴの日記」という
二つの独立した作品(それぞれの
発表年には隔たりがある)を
合本化したものです。
挿絵画家もそれぞれの出版段階の事情で
たまたまそうなっただけかも
知れませんが、アダムとイヴ、
二人の感じている世界の相違を
見事に表現しています。

二つの日記は、
お互いのすれ違いを乗り越え、
分かちがたく結ばれた二人の姿を描いて
幕を閉じます。
エデンの園を追われ、時が過ぎ、
イヴを失ったアダムの言葉が
胸を打ちます。
「たとえどこであろうと、
 彼女のいたところ、
 そこがエデンだった」

(2020.5.5)

falcoによるPixabayからの画像

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