「現代語訳 竹取物語」(川端康成)

「源氏物語」と「竹取物語」、違うのは男女の立場

「現代語訳 竹取物語」(川端康成)
 新潮文庫

天下の男はみな、かぐや姫を
手に入れたいと願った。
中でも粋で通っていた
石作皇子・
車持皇子・
右大臣阿部御主人・
大納言大伴御行・
中納言石上麻呂足の
五人が名乗りを上げる。
しかし姫は結婚の条件として、
それぞれに難題を課す…。

本作品「竹取物語」は、
前回取り上げた
源氏物語「絵合」の帖で
「物語の出で来はじめの親なる
竹取の翁」、つまり
日本最初の物語として
紹介されています。
思い出して読んでみたのが
この「川端康成訳」です。
無理に飾り立てることなく、
それでいて簡素で美しい
川端の訳文については、
また別の機会で取り上げるものとして、
ここでは源氏物語との比較で
考えてみたいと思います。

「源氏物語」と「竹取物語」、
まったく違う二つの物語ですが、
男女の色恋物語であることは同じです。
違うのは男女の立場です。

「源氏物語」では、
光源氏という権力と美貌を持った
絶対的な男性が、自ら女性と
関係をつくっていく筋書きです。
一方「竹取物語」は、
かぐや姫という絶世の美女に、
財産家の五人の男(帝も含めると
六人)が言い寄って断られるという話が
中心となります。
図で表してみました。

平安の世の中は男性が女性に接近し、
結婚に至ります。
まちがっても女性から男性への
アプローチはありません。
光源氏が女性を漁るのも、
かぐや姫の周囲に男どもが群がるのも、
そうした事情に一致します。
問題は「竹取物語」に描かれている
男性諸氏が、
極めて穏やかな紳士として
描かれてあることです。

かぐや姫を育てている
老翁の身分は低く、
そのため彼女に権力などありません。
したがって男の誰かが
力ずくで夜這いに及んでも
一向に問題がなかったはずです。
言葉は悪いのですが、
平安時代は「やった者勝ち」でした。
源氏物語にもそのような場面は
多々描かれています。

しかも五人の求婚者は、
みな大きな権力を持っているのです。
なんとなく読み過ごすと
「五人の愚か者」としてしか
読み手の印象には残りませんが、
皇子(天皇の子)二人に
右大臣・大納言・中納言と、
光源氏並みの実力者揃いなのです。

本来力を持たないかぐや姫に、
絶大な権力を持つ男どもがひれ伏す。
要は「かぐや姫」とは、
それだけの存在感を持つ女性であり、
単なる美女ではないということを、
作者は設定したかったのでしょう。
あたかも女性である紫式部が、
絶対的理想的な男性として
光源氏を生み出したのに重なります。
「竹取物語」は作者不詳ですが、
現代に名前の伝わらない作者は、
間違いなく男性なのでしょう。

(2020.5.9)

Shadiaさんによる写真ACからの写真

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