不安定な時代に翻弄される若者の姿
「赤と黒」(スタンダール/野崎歓訳)
光文社古典新訳文庫

ラ・モール侯爵の秘書となった
ジュリヤンは、
その事務処理能力と
抜群の記憶力を買われ、
特別任務を与えられる。
侯爵とともに
過激王党派の秘密集会に
参加したジュリヤンは、
その会議録を
密書として頭脳に収め、
秘密裏に旅立つ…。
先日2回にわたって
取り上げた「赤と黒」。
読みどころの一つは
主人公・ソレル・ジュリヤンの特異性、
もう一つは
レナール夫人とマチルド嬢の
異質なヒロイズムと書きました。
それに加えてもう一つは
「不安定な時代に翻弄される
若者の姿」ではないかと考えます。
ジュリヤンと
レナール夫人・マチルド嬢との恋愛が
物語の大きな軸となっているのですが、
なぜか下巻の途中に挟まれている、
密使の任務の件が異彩を放っています。
実はここに本作品理解の鍵を握る
「時代背景」が凝縮されていて、
見逃してはいけない部分と
なっているのです。
作者・スタンダールは本作品を
1829年10月に着想し、
1830年9月には書き上げています。
つまり「七月革命」を挟んでの
執筆作業となったのです。
1830年7月27日から29日にかけて
フランスで起きた市民革命。
それによって
1815年に復活していた王政は、
再び市民の手で
打倒されることになったのです。
本作品には、
当然そうした「革命前夜」の状況が
色濃く描き込まれています。
行き詰まった社会の窒息感、
王政へ逆戻りした政治への不満、
貴族・聖職者とブルジョワとの摩擦、
揺れ動く民衆の感情、
分裂された市民、
迫り来る国難の予感。
そうした不安定な世相の
克明な描写が、本作品の底流に、
重く暗い通奏低音のように
流れているのです。
極めて不安定な時代に翻弄された
一人の青年の生涯の記録。
それが本作品の側面なのです。
さて、読み終えてふと感じました。
私たちが現在直面している時代もまた、
「赤と黒」の1830年と同様に、
極めて不安定な時代ではないのかと。
新型コロナ・ウイルスの厄災が
暗雲のように立ちこめています。
外出禁止と行動制限による閉塞感、
有効な対策もなく
国民に語りかける言葉も持たない
無能な政治へのやるせなさ、
露呈した経済格差からくる不満足、
不確かな情報に踊らされる市民感情、
現実的な繋がりを分断された不安、
いつ紛争が起きても
不思議ではない国際情勢、まさに
何かが起ころうとしている「前夜」の
予感がぬぐえません。
その中にあって、しかし私たちは
ジュリヤンと同じ轍を
踏むわけにはいきません。
不安定な時代に翻弄されることなく
生き抜いていかなくてはならないと
強く思います。
「赤と黒」は、
現代にこそ読まれるべき作品なのです。
(2020.5.18)
