どの文章も人を引きつける磁力線を放っています
「雑文集」(村上春樹)新潮文庫

「雑文集」ならぬ珠玉の「名文集」です。
どの文章も
人を引きつける磁力線を放っています。
いろいろな分野についての
エッセイが収録されています。
食い入るように読んでしまったのが
「『アンダーグラウンド』をめぐって」と
題された部分です。
地下鉄サリン事件と
オウム真理教について語っています。
「オウム真理教団の試みた
無差別殺人の被害者は
あなたであったかもしれないし、
僕であったかもしれなかったのだ。」
それはまさにあのとき私が感じた
(いや多くの日本人が
同様に感じていた)ことです。
その前日から東京に出かけていて、
朝食を食べ終えて
ホテルのTVをつけた私の目に
飛び込んできたニュースの衝撃を、
未だに忘れることができません。
村上春樹は事件と教団に対して
きわめてクールに対峙しています。
教団幹部のエリートたちについて、
そのようなタイプの人々は
「変わり者」とみられることが多いが、
これまでの社会は彼らを
有益なスペシャリストとして
受け入れてきた、
しかしある時点で、
彼らは社会システムに
「受け入れられる」ことを逡巡し、
拒否し始めた、と分析しています。
「『社会化』されることが
自明な善でなくなったときに、
彼らは『ノー』を
宣言するようになったのだ。」
折しも7月6日に6人、
そして26日に7人と死刑が執行され、
死刑囚すべてに刑が執行されています。
新聞には「裁判で何も語らぬまま
教祖の刑が執行されたことで、
地下鉄サリン事件の
本質的解明への道は閉ざされ、
将来に禍根を残した」と
識者が警鐘を鳴らしていました。
しかし、あれからすでに
20年以上が経過しているのです。
彼らが生きていてもこれ以上語ることは
期待できなかったはずです
(だから死刑にしてもいいとは
思いませんが)。
それよりも村上春樹のように
徹底的な取材と背景分析を行い、
現代社会に欠けているものは
何であったかという「物語」を
積み上げる作業こそが
必要だったのではないかと思うのです。
小説家は
ただ物語を書いているだけではなく、
社会を多様な角度から見つめ、
他の人間とは違った切り口で切断し、
丹念にそれらを咀嚼し、
再び縫合し、立ち上げる、
そうした緻密かつ地道なプロセスを
自然にこなしているのだということが、
本書を読めば実によく理解できます。
高校生に薦めたい一冊です。
できればまだ村上作品に
出会っていない方に。
大学生の頃、
「羊をめぐる冒険」で
雷に打たれたような衝撃を受け、
「世界の終りと
ハードボイルド・ワンダーランド」で
小説というものについての観念を
一変させられ、
「ノルウェイの森」で
魂を激しく揺さぶられた記憶が、
未だに新鮮に残っています。
以来、30代半ばまで
村上春樹の小説を愛読してきました。
ここ十数年、
自分の読書の幅を広げようと思い立ち、
意識的に
村上春樹を避けてきたのですが、
文庫本はそこそこ買っていました。
本書も発売(2015年)と同時に
購入したものの読む機会を逸し、
先日ようやく読み終わりました。
(2020.5.27)
