「久坂葉子の誕生と死亡」(久坂葉子)

そのひとつ前の「最期」

「久坂葉子の誕生と死亡」(久坂葉子)
(「久坂葉子作品集・女」)六興出版

一九四九年の夏前に、
久坂葉子は、
この世に存在しはじめた。
この名を、
原稿用紙の片隅に記した時は、
確かに、この世に
存在し得たものではなかった。
誰かが認めなければ、
その物体の存在価値など、
零であるのだ。…。

前回取り上げた
「入梅」の著者・久坂葉子の、
こちらは随筆です。
題名が示すとおり、
作家として歩みはじめたいきさつから
創作活動を断念するまでの、
筆者自身の心の動きが
克明に記されています。

久坂の著作が
どのような経緯で生みだされたか、
そして久坂と当時の作家たちの
関わりを知る上で貴重な一編です。
昨日の「入梅」も記されています。
「『入梅』がのった。いろんな
 批評をもらった。『こいつは
 来々年の芥川賞候補に
 なるであろう』と富士正晴氏が
 つぶやいた。」

途中で読み進めるのが辛くなりました。
書かれてあるものが
次第に久坂の作家としての
「苦悩」に切り替わっているからです。
家族への反発、
周囲の作家たちに認められない焦り、
すてばちにも見える振る舞い、
そして作品を生みだす苦しみ、…。

しかし本当に痛々しいのは、
そのところどころに挟み込まれた
私生活での「苦悩」の記述です。
本作品は「作家・久坂葉子」に
焦点を合わせているため、
私的な部分は
ごく簡単にしか書かれていません。
だからこそ、
まるでざっくりと割れた傷口を
見るかのように感じるのです。
「私は、小説が書けない、
 何も出来ない状態のまま、
 NJBに通っていた。そして、
 彼との媾曳だけで生きていた。
 他に何も考えなかった。」
「そしていよいよどうにもならず、
 薬をのんで自殺をはかった。
 蘇生した。
 その揚句、肺病になったのである。」

傷は「周囲から
切りつけられたもの」ではなく、
「自ら切り刻んだもの」だと感じます。
非凡なる才能を持ちながらも
死へと向かわざるを得なかった久坂。
彼女の死は
回避不可能だったのでしょう。
本作品は次のように結ばれています。
「私は久坂葉子の死亡通知をこしらえ、
 その次に葬式をするのだ。
 弔文をよもう。
 お前は、ほんとに馬鹿な奴だ、と。」

彼女が鉄道自殺を図ったのが
1952年12月31日。
その数時間前に書き上げたのが
小説「幾度目かの最期」であるとすれば、
本作品はそのひとつ前の
「最期」と言えるのかもしれません。

(2020.6.10)

【青空文庫】
「久坂葉子の誕生と死亡」(久坂葉子)

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