「赤い繭」(安部公房)

白紙答案を提出した気持ちにさせられます

「赤い繭」(安部公房)(「壁」)
 新潮文庫

「おれ」には帰る家がない。
なぜおれの家がないのか?
おれは自分の家を
忘れただけなのか?
その疑問を解き明かせないまま
歩き続ける「おれ」。
ふと足下を見ると、
靴の破れ目から伸びた
糸が目についた。
「おれ」がその糸を引っ張ると…。

安部公房得意の「変身もの」です。
「おれ」は最後には
中空の「赤い繭」に変身するのです。
足から伸びた糸を引っ張ると
どうなったか?
糸が伸びるごとに
「おれ」の足がほつれていき、
その糸は自分の体に巻き付き、
やがて「おれ」の体は失われ、
糸は「赤い繭」となるのです。

何とも不条理かつ
非論理的な世界であり、
文庫本でわずか5頁に
過ぎないにもかかわらず、
読み手に理解を
容易には許してくれない作品です。
次から次へと疑問ばかりが
湧き出でてきます。

一つは家を探す「おれ」は何の象徴として
描かれているかという点です。
まったくの他人に対して
「ここは私の家では
なかったでしょうか?」と尋ねるあたり、
常軌を逸しています。
何かの事情で
「おれ」の家がなくなったのではなく、
「おれ」が記憶をなくしたのでもなく、
「おれ」が狂人なのでもなく、
「おれ」はメタファーとしての
存在なのだと考えるしかありません。
では何の暗喩なのか?謎です。

同様に、「おれ」の変化した「赤い繭」は
何を表しているかという点も
わかりません。
「おれ」の体がほぐれてできた繭。
美しい蝶となる
前触れと捉えたいのですが、
繭の中には「さなぎ」は存在せず、
空洞なのです。
「おれ」は繭を自分の家と考え、
一旦は喜びますが
「だが、家が出来ても、
 今度は帰ってゆくおれがいない」。

変身物語の主人公のその多くは、
変身によって
不幸がもたらされています。
毒虫に変化した
カフカ「変身」のザムザをはじめ、
安部作品でも
「棒」「デンドロカカリヤ」など、
変身自体が災難そのものなのです。
しかし本作品の「赤い繭」は
「内側から照らす
 夕焼けの色に赤く光っていた」

災いのような印象を受けません。
体が失われても
安息の場所が出来たことは
「おれ」にとって喜びだったのか?
わかりません。

さらには最後の場面で、
繭はそれを見つけた「彼」の息子の
玩具箱に収納されます。
その意味するところは何か?
これほど贅肉のそぎ落とされた
作品構成の短編です。
蛇足などであろうはずがありません。
安部の意味するところが
あるはずなのです。残念ですが、
これも解くことができません。

読み返す度に、
作者・安部公房から出された試験問題を
白紙答案で提出してしまったような
気持ちにさせられます。
しかし、わからないからこそ
読書は面白いのであり、
わからないからこそ
何度も読み味わえるのです。
若い感性なら
どのように読み解くのでしょうか。
高校生に薦めたい一篇です。

(2020.6.22)

butterflyarcによるPixabayからの画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA