「くっすん大黒」(町田康)②

これは文学によるロックミュージックなのか

「くっすん大黒」(町田康)文春文庫

前回は本作品「くっすん大黒」の
筋書きについて触れ、
「あれこれ考えるべき作品ではない」と
無責任きわまりない
結び方をしてしまいました。
今日は本作品の文章について
考えてみたいと思います。

筋書き同様、
文体も極めて異様であり、
分析困難です。
「もう三日も
 飲んでいないのであって、
 実になんというかやれんよ。
 ホント。
 酒を飲ましやがらぬのだもの。
 ホイスキーやら
 焼酎やらでいいのだが。
 あきまへんの?」

この冒頭から1頁は
語り手の独り言だから
仕方ないといえばそれまでですが、
以降本文もこの調子です。
「まだ世間は明るいというのに、
 ボミットオンザ布団、
 なんてなことになり果てたのである」

というふざけた表現をしたかと思えば
「拵え物であるということは
 重々承知しているにも拘わらず」

という硬い言い回しも見られます。

また一文が
不自然に長いのにも驚かされます。
「ぜんたい自分がこんなことに
 なってしまったというのは、
 この大黒面もさることながら、
 駅から自宅までの間に
 書物を扱う店が
 皆無であるということも
 重要なポイントで、
 仕事があって電車に乗って出掛け、
 仕事を済ませて帰宅する途次、
 もし書店があれば
 なにか書物を購入して

 教養を高め
 知識を積むことができたはずで、
 そういう教養・知識があれば、
 多少、酒を飲んで
 ぶらぶらしたからといって、
 こんな阿呆面には
 ならなかったはずである。」

これでは国語の先生に叱られます。

実はこの二点が、
本作品の文章構成上の
大きな特徴と考えられます。

異様な文体は、
日本語をオブジェとして
取り扱った結果と思われます。
その効果として、
随所ではっとさせられるような
言葉のきらめきが感じられるのです。
例えは適切ではありませんが、
井上陽水や桑田佳祐の歌詞から
受ける印象と似たものを
感じてしまいます。

不自然に長い一文は、
意外にもテンポ良く
読み進められるのです。
スピード感が感じられます。
これについては
野坂昭如が「火垂るの墓」で
同様の試みを行っています。

そうか、これは文学による
ロック・ミュージックなのか。
デビュー当時の町田康が、
本業の音楽と同じスタンスで
文学に取り組んだ作品だったのか。
などと勝手なことを
考えてしまいました。
やはり解析不能です。

※本作品には
 性的な表現等も見られるのですが、
 その文学的な感銘度の前では
 些細な問題に過ぎません。
 中学校3年生に
 強く薦めたい作品です。

(2020.6.25)

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